日記は我が苦行なり

Jain Diary:ジャイナ日記

「一日一ジャイン」をモットーにはじめたものの、「飲み会と更新をどう両立するか」に苦悩する毎日。そんなヒマがあったら他のコーナーを充実させるべき、という声も多い。


115.ジャイナ日記独立記念日

ジャイナとは無関係な話題ばかりを更新しつづけて早2年。ついにジャイナ日記が独立なのである。法名も新たに「独り居ジャーナル(仮)」とし、いま流行のWebログ化にむけて準備中であります。

それからもうひとつ、「抜き書きでお茶を濁すな」という読者からの手厳しい指摘を考慮し、今後はすべて書き下ろしに決定!(妄想)

というわけで、この日記の続きはnarajin.netでお楽しみください。(2004.06.21記)

114.上連雀植物公園

アパートのはす向かいに一人暮らしの老婦人がいる。三鷹にしてはけっこうな敷地で屋敷もまあまあ大きい。しかし老体にはやはり手に余るのであろう、庭木が増殖しすぎてコンクリート塀からはみだし、通りをはさんで向かいの屋敷まで浸食している。私の部屋から眺めると、屋敷自体も緑に埋没して辛うじて輪郭をとどめているにすぎず、もうほとんどジャングルといっても誤解のない外観である。 3月ころから森の成長を陰ながら見守ってきたのであるが、春の陽気と六月の雨で爆発的に増殖し、ついに電柱すらも飲みこんでしまった。原発に例えれば「熱暴走」状態である。もう誰にも止められない。

さすがに近隣の住民から苦情が殺到したのであろう。先週の日曜日に庭師がやってきて剪定(というか駆除)をはじめた。おそらく市から派遣されたのだと思うが、刈っても刈っても塀の内側まで辿り着くことができず、ついにあきらめてプイっと帰ってしまった。道端にはロープで束ねた大量の枝葉が山積している。おそらく明日は燃えるゴミの日なので、これまた市に処理してもらおうという段取りであろう。

翌日、ゴミ回収車がやっては来たのであるが、あまりの量に作業員の兄チャンが激怒したのか、キレまくってチャイムを何度も鳴らしていた。後で通ったら「回収は四束までです。それ以上は有料となります」と書いたシールが貼ってあるだけで、結局何ひとつ持っていってくれなかった。やはり役所のやることはわからない。市で刈ったのなら、市で回収してもよいではないか。事前の申し渡しはなかったのであろうか。困るのは住民である。道の半分がゴミで占拠された格好になり、前より始末の悪い結果となってしまった。

まあ、いずれにせよ、森が元の状態に復帰するのは時間の問題だし、老婦人が火事でも出さないかぎりこのイタチごっこは終わらないであろう。私はこれに「上連雀植物公園」と正式に命名することにし、友人たちが拙宅を訪れる際の目印として利用している。なんたって、緑のトンネルができている公道なんてそう滅多にありませんからね。 (2004.06.20記)

113.タオ

『不思議な国のアリス』に裁判の場面がある。裁判中、白うさぎは事件にぜんぜん無関係な、わけのわからない詩をめんめんと読みあげる。すると王様は「これほど重要な証拠はいまだかつて聞いたことがない」と意気揚々に言う。「意味がまったくないではありませんか」とアリスが抗議すると、王様は答える。「意味がないほうがみんな助かるんだ。意味をさがさなくてすむからね。」

タオイストにもこの王様に似たところがある。タオの存在を主張しない、だからその存在を証明する必要もないというわけだ。これこそ中国人の知恵の最たるものと言えよう。

西欧の宗教史は論争と闘いの歴史だ。神の存在をめぐってどれだけの血が流され、どれだけの人が拷問にかけられたことか。宗教は生死の問題、いやそれ以上のものにされてしまった。キリスト教徒はどんな犠牲をはらっても「異教徒と無神論者の魂を救うために」神を信じさせようとした。また無神論者は無神論者で、神を信じることなどこどもや未開人の迷信にすぎないし、社会の真の発展をことさら妨げるものであるとキリスト教徒に反撃した。

両者はこうして攻撃しあい傷つけあった。その間タオイストの賢人はなにをしていたか。川辺でお酒を飲みながら誌の本を読んだり絵を描いていたのだ。そして心ゆくまでタオを満喫していた。賢人はタオが存在するか否かなどと悩まない。あえてタオの存在も肯定しない。タオを満喫するのに忙しくてそんな暇もないのだ。

レイモンド・M・スマリヤン著 桜内篤子訳『タオは笑っている』P11 工作舎

(2004.06.18記)

112.ヨガその1

昨日はこれまた二週間ほどさぼっていたヨガ教室に顔を出す。

日曜日ということもあって生徒さんがたくさん来ていた。ポーズで足を伸ばしたりしても、後ろの人の顔面を殴打しないか心配なくらいのスシ詰め状態である。ヨガ人気が高まっているのかなと思う。

本屋さんでもヨガ関係の本がいっぱい平積みされているのに驚く。研修生の人にたずねたら、欧米のセレブたちのあいだでヨガが流行っているらしく、我が国の女性誌でもヨガ特集が大人気だというのである。

私がヨガをはじめて習ったのはもう10年以上前になるけれど、あのころはまだヨガっていうとオバサンくさいというか、病気治しや健康維持といった文脈で語られていたように思う。スポーツジムにも前からヨガのクラスはあったけど、時間が火曜日のお昼からとかしかなくて、明らかに年金生活者や主婦対象といった暗黙のムードが漂っていた。それが今じゃカラダに何の心配もない若い子たちがこぞってジムのヨガクラスに通い出しているのである。

ヨガだけじゃなく、玄米菜食なんかも、モデルさんたちのあいだではすでに常識みたいになっていて、オレンジページの別冊本はバカ売れするわ、エステにまで進出するわで、もう大変な勢いだ。これまた10年以上前の話になるけれど、私がマクロビオティックの料理教室に通っていたころは、「玄米」と口にするだけで宗教関連の人かアトピー持ちかと訝しげな目で見られたものだった。

そんなわけで、私の先生も雑誌の特集企画に原稿書いたり、本の執筆を数冊もかかえていたりで、いつも忙しい! を連発している。その他にホームページで日記まで公開してるんだから、相変わらずスゲー人だなといつも思う。私なんかヨガやって汗ダラダラになると、瞑想しながら「今日は広島戦」とか「夜は豪気にエビスの瓶」とか、「チャーハン大盛り」とか、意識が宇宙に行くどころか臓腑にばかり集中してしまうのである。なかなか至高体験とはいきません。

ヨガっていうのは単に美容とか健康法以上のものだけれど、先生いわく、きっかけは何であれ、ヨガに興味を持ってもらうのはよいことだ、と。たしかに、私が最初にヨガ教室の門を叩いたときも、ちょうど女にフラれたばかりで何か新奇なことでもしてやろうというくらいの気持ちで始めたのだった..(続く)(2004.06.14記)

111.グループ展

前日よく飲んだ割には朝すっきりと目が醒めた。なんか体調がいいので市が尾のテンペラ画教室に顔を出す。実をいうとずっとさぼりまくっていたので先生もとうに辞めたものと思っていたらしい。平身低頭に謝ってなんとかもう一度続けることにしてもらった。

しばらく出ないうちに人も倍くらいに増えて(といっても6人だけど)、やっと教室らしい雰囲気が出てきた。生徒さんが一人だけというまさにマンツーマン状態の苦しい時期にくらべると、先生のほうでもかなりやる気が出てきたようである。今はマンションの集会室をやむなく教室がわりにしているけれど、そのうち近場にアトリエ兼教室を持つという計画も進行中とのこと。先生のノートには不動産関係のチラシが何枚かはさんであった。

作業が終わった後のお茶会の席で、先生がいきなり「今度の10月にみんなでグループ展をやりませんか」と切り出してきた。これはやばい、と内心思ったが、どうやら私だけ蚊帳の外らしく、先生は他の生徒さんに出品点数などについて取り決めしていた。なあんだ、とか内心思っていたら、生徒の一人であるO婦人が哀れに思ったのか「奈良さんも今やってる作品出しませんか」と声をかけてくれた。なんか妙に悔しい気持ちもあったし、〆切体質が骨まで染みついている自分にはちょうどいいノルマになるな、ということで2点ほど出品することにした(先生にはまだ内緒だけど)。

そうなると、読書などしつつ毎日漠然と暮らしてなどいられない。額縁まで制作するとなると今からやらないとまず間に合わないであろう。8月はオリンピック三昧だ、とか、インド旅行だなとかいうバカンス感覚が一気に吹っ飛び、代わりに緊張感と焦燥感でドキドキしてきた。でも、作品を発表することでまた自分も変わるだろうし、新しい仲間との出会いもあることを考えると、これは絶対にやるべきだなと思うし、やらないとまたズルズルと怠惰な生活に戻るであろう。やっぱり絵が好きな人たちと他愛のないおしゃべりをするのは楽しいし、そういう場がないと自分は何もしないから。

というわけで、これから新宿の世界堂本店に行ってきます。ついでにヨガのクラスにも。 (2004.06.13記)

110.正岡子規

昨日は久しぶりに中央林間で飲み。場所は「獺(かわうそ)」。相手は旧隣人のN。相変わらず就職活動は難航しているそうだ。中高年の再就職問題はほぼ解決したと竹中さんが話していたけど、いまどき正社員の募集はほぼ皆無に近いし、みな契約社員で渋々手を打っているというのが現状らしい。まあ正社員の口がないのは若者も一緒だけれども。終身雇用制度はほぼ完全に崩壊したといってよさそうである。県庁勤めの友人に聞くところによれば、地方公務員でも法的にはもう首切り可能とのことだ。

中央林間に寄ったついでにいきつけの美容室にも顔を出す。Tas(タシュ)っていう名前なんだけどこれがまたスタイリッシュで好きな店だった。いわゆるヘアーサロン的じゃなくて、まるでどっかの画廊みたいな内装なのである。鏡は額装してイーゼルに置くという懲りようだし、インテリアもほとんど手作り。クラシック・バレエとパンクが好きだという美容師Kの美学が全開である。その日のBGMは追悼のためかレイ・チャールズだったけど。

隣に座っていた客がなぜか「ベースボールを野球と訳したのは正岡子規だ」とか話しはじめた。見習いの女の子が「誰?」ってことになり全員で教示を試みる。「ほら、国語の教科書によく載ってたじゃん。落書きしなかった? ついつい筆を入れたくなる顔っていうか」っていう説明には妙に納得した。世界史ではチャーチルあたりが同じポジションであろう。

結局その女の子にわかってもらえなかったけど、よくよく話をきくと与謝蕪村や小林一茶は知っているとのことで、なぜ子規だけが、という深い疑問を残したまま会話はトーンダウンした。でもなんか妙に楽しいおしゃべりだったなあ。

「じゃあ今度、正岡子規について語り合おうね」と約束して店を出た。(2004.06.12記)

109.杜若

杜若

深大寺で「薪能」を観る。

これまで能などまったく興味がなかったのだが、なぜ観ることにしたのかといえば、宣伝チラシの写真(右)に強烈に引きつけられたからである。そのときは理由が全くわからなかった。単に、能そのものの魅力に遅まきながら気がついたのだろうと考えていた程度である。しかし、見終わってからもっと深い理由があったことを知って驚いた。

「薪能」というのは、文字通り野外で火を焚きながら能を演じるものをいう。現代では能といったらすぐ能楽堂をイメージするが、野外能のほうが歴史的には古いそうである。深大寺の薪能は、本堂そのものを舞台にみたて、境内に折りたたみのイスを並べて客席としていた。時間に余裕をもって望んだものの、すでに客席はほぼ満席で、残念ながらかなり後方の座席に追いやられてしまった。やはり無料ということで地元調布の市民が多数おしかけているのであろう。

まずは狂言の「清水」から。横着者の太郎冠者が鬼に化けて主人をおどし、自分への好待遇を確約させようとするが、最後はバレて怒られるという罪のない笑い話である。二人のやりとりの中で、「なかなか!」という台詞がなんども出てくるのだが、「いかにも」「そのとおりです」の意味だったのだなと帰ってから調べてわかった。普段から万葉や和歌を堪能されている方ならなんのことはないのだろうが。

トリは、古典能の定番として有名な「杜若(かきつばた)」。旅の僧侶が、沢辺の杜若に感じ入っているところに、一人の女が現れ、旅僧を自分の庵へと誘う。実はその女は杜若の花の精で、僧侶の前でこの世のものとは思えぬ舞を披露し、自分のような草木であっても成仏できる(草木国土悉皆成仏)ことを旅僧に伝え、消え去るのである。

問題は、里女が杜若の精に変身した後の衣装だ。これがチラシに使用されていた写真だったわけで、彼女(といっていいのかわからないが)のデザインには、実は伊勢物語の主人公として知られる在原業平(ありわらのなりひら)と、彼の恋人である二条ノ后のダブルイメージが採用されており、その出で立ちは男女混装というか、男もの女もののファッションが入り交じっていたわけである。杜若の精という、この世に属しない存在を表現するのになんとも粋な手法を思いついたものだ。これもブリコラージュの一形態といえないこともない。

そう考えてからよく写真を見ると、冠は明らかに男性のそれであるし、羽織っている唐衣は通称「平菱文」と呼ばれる業平ゆかりの文様であるが、女物ともとれる。チラシを見たとき無意識に惹かれたのは、この男女に揺れるセクシーさが真因だったのである。そういえば、ジョージアのCMもなるほど好きだ。

夢の中には、まったく非合理な組み合わせが当たり前のように登場するものだが、これは誰しも毎夜経験しているところであろう。能には、シュールレアリスムにも通じる夢幻性がある。世界最古の舞台芸術であると同時に、下手なモダンアートなんか蹴散らす今日性を保持しているのである。

次回の薪能では、自分の中のどんな深層心理が暴かれるのであろうか。(2004.06.09記)

108.幼稚園

今日も暑くなりそう。天気予報では夕方から雨。シーツは乾いたようだ。

朝から幼稚園が騒がしい。雨は雨で鬱陶しいが、晴れると今度は幼稚園が戸外遊びでうるさいので厄介だ。小運動会の練習なんだろうけど、ミッキー体操を何度もやるのはやめてほしい。

ぼくらのクラブのリーダーは
ミッキーマウス ミッキーマウス ミッキミッキマウス
よーほー よーほー おれたち海賊
ラランラランラランラランラランラランララン
世界中、誰だって
微笑めば仲良しさ
みな 輪になり 手をつなごう
小さな世界
ハイ! ミッキー! レッツゴー!

そもそも、歌詞が何を言ってるのかわからず大変気になる。「よーほー」は養蜂のことであろうか。でもなんで海賊なんであろうか。ネットで調査もしてみたが、いまだ全貌を明らかにできずにいる。どうやら先生方もフルコーラスでは知らないようだ。

ま、それはどうでもいいとして、自分が幼稚園のころはわからなかったけど、もうすでに軍隊式というか、集団行動というものを意味もなくやらされていたんだなと見ていて思う。先生の言い回しはやさしいが、やってることはつまり何でもみんなと一緒にやらなくてはいけないということであり、独りで勝手な行動をすることの戒めである。その成果を親の前で披露するのが運動会ということであろう。集まった親たちは喜々として我が子の行進する晴れ姿をハンディカムにおさめるはずだが、それが子どもらしさを失っていく過程を記録するものになるとはつゆとも考えていないだろう。

なぜ子どもは「明るく元気」でなくちゃいけないのか。一日中、本を読んだり絵を描いている子どもじゃダメなのか。戸外遊びをする園児たちのなかに、つい自分の分身をさがしたくなってしまう。(2004.06.08記)

107.雨

昨晩は表参道のFABでZAO(フランスのジャズロックです)を観る。サイコーだったけどすっかり帰りが遅なり、今朝は眠くてヘロヘロだった。でも今日は図書館に本を返さないといけないし、雨が降りそうなので起きるとすぐにアパートを出る。しばらく行ったところで、自転車の後輪からキーキーと悲鳴のような音がしてきた。どうやら車軸にブレーキ・ドラムがあたっているらしい。しょうがないので部屋に戻り、ペンチとスパナでブレーキ・ワイヤーの位置を調整してなんとか復旧した。

出鼻をくじかれた格好になったので、急いでもしょうがないやと思い、図書館に向かわずそのまま石原食堂(いきつけの飯屋です)に直行した。ここは朝6時から夜8時まで休憩なしで開いているので重宝である。しかもご夫婦二人きりで三十年、ほとんど休みなしで切り盛りしてこられたそうだ。一日14時間労働というと、私なんかはすぐにヘタってしまいそうだけど、奥さんいわく「逆に働いてないと体調が悪い」とのこと。「昨日は冠婚葬祭があって店を開けらんなくてねえ」と悔しそうに喋っていたが、寡黙なご主人も同意しているようであった。「最近ヒマなんで、朝から晩まで本読んでます」とは間違っても口にできないムードである。

鮭焼きとおひたし、お新香とみそ汁でブランチをすませ、そろそろ図書館にというところで、今日が返却期限のCD(ディスコです)を部屋に置き忘れたのに気がついた。しょうがないのでまたアパートにもどり、今度は全速力で図書館に直行。いいかげん雨がやばい。メイ・サートンの『独り居の日記』を無事ゲットしたのですぐ帰ればよいのだが、美術書のコーナーで絶版本を味読しているうちにどんどん時間が経ってしまった。ふと窓の外に目をやると、雨と風が激しく地面を叩いている。もう観念してどっしりと腰を据えて探書することに決めた。

借りた数冊の本を生協の買物袋でしっかりと包み、さらに鞄の中に入れて雨の中を突っ走る。最初は傘をさしていたのだが、風が強くまったく意味がないのでやめてしまった。本さえ濡れなければよい。

部屋にもどり、まずは熱いコーヒー飲みたい! と焦ったのがいけなかったのであろう。よりによってベッドの上でコーヒーカップをモロに蹴り倒してしまった。今度はシーツがずぶ濡れである。そのままだとシミになるので、雨の中ベランダで洗濯をはじめたのだが、なにやら洗濯機からガリガリと異音が響いてきた。今度は何なのですかっ、と泣きそうになりつつ洗濯槽をのぞいたら、さっき溜めたはずの水がなく、ただシーツだけがクルクル回っていた。ウチの洗濯機はもうかれこれ十年以上も酷使してきた旧式のやつである。これまでも何度か死にかけたことがあり、騙しだまし使ってはきたが、ついにオシャカなのか。きょうび三万円もだせば全自動式のリッパなやつが購入できるとはいえ、おそらく三万もって家電屋に向かっても、帰りにはまったく別の商品を携えて出てくるであろう。いつもその繰り返しだったではないか!

と、洗濯槽をのぞきつつ自虐的になってもしょうがない。なんとか水を足しつつ脱水までこぎつけ、物干しにシーツをひろげてやっと一段落した。「今日は厄日かよ」とひとりため息をもらしていたら、なんと雨があがって青空がのぞきはじめ、さらに心地よい風までふいてきた。終わりよければなんとやらではないが、ちょっと救われた気持ちで熱いコーヒーを啜りつつ、『独り居の日記』を読み始めた。

と思ったらまた雨が...(2004.06.07記)

106.なぜ、こうなってしまったのだろう

.....それは実に新鮮な体験であった。私を心理学者へいう職業へと誘ったのは、まさにこの本だったのだ。私は、その本の口絵にあった二枚の写真を生涯忘れることがないだろう。一枚は産院の新生児室に並ぶ幸せそうな赤ん坊たちの写真で、その下のもう一枚は、ニューヨークの地下鉄を撮影したものであった。吊革を握る人々の疲れ切った血の気のない顔が、満員電車の車窓越しにとらえられている。そして、二枚の写真の下には「なぜ、こうなってしまったのだろう」というキャプションが入っていた。これこそ、マズローが生涯をかけて解明しようとした問いなのだ。

アブラハム・マズロー 金井壽宏 監訳  大川修二 訳『完全なる経営』 P28 日本経済新聞社  2001.12.17

私たちはみな、素晴らしい想像力を持ってこの世に生まれて来た。子どもの時は、さまざまな角度から世界を見る能力と柔軟性を持っている。自分の周りのあらゆることに注意を払っているため、人生を楽しむ能力はたっぷりあった。

子どもの時代のある時点で、ほとんどの人はこの能力を失い始める。社会、学校、そして親たちは、私たちがこの世界で期待するべきことを教える。その影響力は強い。私たちは、他者に受け入れて欲しいと思うよう条件づけられている。社会的に受け入れられるためには、疑うことをやめなければならない。私たちは精神の柔軟性を失い、ものごとに注意を払うことをやめる。

ゼリンスキー著『働かないって、ワクワクしない?』P31 ヴォイス

おとなの人たちときたら、じぶんたちだけでは、なに一つわからないのです。
しじゅう、これはこうだと説明しなければならないようだと、
子どもは、くたびれてしまうんですがね。

サン=テグジュペリ 内藤濯訳『星の王子さま』岩波書店

(2004.05.25記)

105.余暇その3

真の余暇―魂の憩いといってもいいが―は、まさに労働の最中にこそ芽生えるというプロテスタンティズムのごとき強者もいる。ヒルティの仕事論の根幹をなすものもまさしくこれだ。

人間の本性は働くようにできている。だから、それを勝手に変えようとすれば、手ひどく復讐される。もちろん人間は、とうの昔に休息の楽園から追放されている、神は働くことを人間に命じたが、しかしまた否応ない働きにともなう慰めをも与えてくださった。だから、本当の休息はただ活動のさなかにのみあるのである。....この世の最大の不幸は、仕事を持たず、したがって一生の終わりにその成果を見ることのない生活である、それゆえ、この世には労働の権利というものがあり、また、なければならないわけだ。

ヒルティ著『幸福論 第一部』P15 岩波文庫

もし古代ギリシア人が「労働の権利」などという言葉を聞いたらビックリするであろう。『働かないことのススメ』の著者ゼリンスキーは、なぜ人類がスコラ的な価値を知りながらもプロテスタンティズムという間違った選択をなしたのかという率直な疑問を投げかけている。

身を粉にして働くのがそれほど尊くて崇高な行為だと思うなら
発展途上国のどこかの炭坑で
一日十四時間労働を体験してきたらどうか?

ゼリンスキー著『ナマケモノでも幸せなお金持ちになれる本』P73 英治出版

プロテスタンティズムがいまだに世界経済を動かしていることには疑問の余地がない。我々の誰もが、週日40時間労働を当然のものと信じて疑わないが、なぜそうしなければならないかについて確固たる理屈づけができる人は希であろう。いわんや余暇などなおさらである。(続く)(2004.05.20記)

104.雨

図書館に行ったらあいにく休みだった。しょうがないのでコンビニで少年マガジンとサンデーとスペリオールを立ち読みした。店を出たら雨が降っていた。買物が面倒になったので、そのまま家に帰った。残り物のご飯とみそ汁、ちりめんと納豆で昼食。友人から「クラフトワークのライブ音源をDLできた」とのメール。消されないうちに落としまくった。

雨は強くなる一方なので、観念して部屋で遊ぶことにした。卵を割って黄身だけをとりだし、それに酢を少々入れて、絵具のメディウムをつくる。先日練っておいた顔料と混ぜあわせ、しばらく放っておいたテンペラ画に筆を入れた。

雨が降ると無性に聴きたくなる音楽というものがある。原由子の「私はピアノ」の歌詞に「雨の降る日はビリー・ジョエル」というくだりがあるが、小生のばあいはタンジェリン・ドリーム。70年代のシンセの音って、なぜだか暖かい。

プロ野球を見ようと思ったら雨で中止。男子バレーは22日からだし、またしても観念して風呂に入る。やはりビール飲みたくなる。というわけで、近場の居酒屋に行く。だったら最初から出とけっつーの。(2004.05.19記)

103.余暇その2

「それは余暇と違うではないか」と言われると確かにそうかもしれない。余暇は英語ではレジャー(Leisure)だし、語源はラテン語の「licere(=許される)」である。これは暇してもいいよ、と許可する何者かが前提にあるわけで、昔でいえばそれがご主人様だったり、神々だったりであろう。現代社会では企業や上司かもしれぬ。明らかに労苦や義務、使命からの一時的解放といった概念が背後に見え隠れしている。英国における余暇獲得の歴史も、やはり雇用条件の改善との関連は否定しがたい。

ただややこしいことに、レジャーとは無関係な余暇もあったりする。古代ギリシア・ローマでは余暇に「スコレー、スコラ」という言葉をあてたが、こちらの語源は「scio/scire = to know(知る) 」であり、ご存じのように学校(school)の語源である。大いに遊び、大いに学ぶこともこれまた余暇であり、また余暇なくしては学問も成り立たないであろう。彼らのばあい、労働は奴隷とか下級市民にまかせておけばよかったから、労働がなくても余暇という概念はいちおう成り立っていたわけである。その証拠に、彼らには「仕事」にあたる単語がなく、「アスコリア(スコラの否定語)」をあてがっていたにすぎなかった。

こうなると、「君の求める余暇というのは、つまるところ単なるスコレーのことではないか」と追求されるかもしれぬ。たしかにそうなのだが、なんか順当すぎて面白くない。最初の定義に矛盾するようではあるが、逆に労働を賛美する立場から見た余暇についても検討しないと片手落ちになるであろう....(続く)(2004.05.18記)

102.余暇その1

「余暇」について考えこむのが大好きだ。このテーマとは長いことつきあっているが、全く飽きることがない。

そもそも余暇をテーマにした本は数が少ないし、あっても企業経営と結びついたビジネスマン向けの著書が圧倒的に多かった(*)。遊びや余暇を専門とする研究者も我が国ではまだまだ少数である。先日も出版社の広告宣伝の方々と飲んだ折り、企画として「余暇」なんかどうか、と話をふってみたが、おしなべて不評であった。余暇なんて時代遅れの古びたネタであり、いまさら論じる価値のない「死語」だと指摘する方もおられた。

なるほど余暇という言葉自体に新鮮味をおぼえる人は稀であろう。この言葉を聞くとレジャーやリクリエーション、リフレッシュといった表現に代表される「週末の過ごし方」を連想するのが大方である。余暇とは、月曜日からまた元気に出勤するための休憩時間にすぎず、あくまで勤労という主人の忠実なる下僕というわけである。

このような定義になぜだか嫌悪感を持っていたので、その逆を証明するような事実をさがし歩いていた。つまり、余暇の余りこそが労働であり、労働が消滅しても余暇は無傷で生き残るという見通しである。さらに贅沢をいうならば、余暇とは人生そのものであり、それ以外は無意味な愚物だと主張する立場があったらいいなと思っていた。

この世に生まれ落ちてから死ぬ瞬間まで、目の前に存在する広大な時間的空間。それが余暇である。まずはじめに余暇があり、それを労働や家庭的社会的義務がついばんでいくのであって、労働という対概念がなくては存し得ないということではない....(続く)(2004.05.17記)

(*)薗田碩哉著『余暇学への招待』の巻末に、余暇と遊びに関する膨大な著作リストが掲載されていた。反省。

101.時間の比喩

現代人はみな多忙である。それもただ忙しいというだけでなく、忙しいことこそがその人の存在価値を支えているのだという多忙信仰が強固に存在する。「あなたはいつもお忙しい」というのは一種のほめ言葉として通用し、多忙と有能とはほとんど同一であるとさえ考えられている。逆に言えばヒマな人は無能であり、社会の役にたたない存在であるという認識が依然として根強い。そうした状況では余暇の権利意識は育たず、余暇は労働に従属して、余暇それ自身の価値が顧みられることもない。

余暇の本質は、その自由と主体性にこそあるというべきである。誰にも妨げられない、誰の介入をも拒否しうる自分の時間、自らの個性を元にいかようにも染めあげられる自由裁量の時間であることが余暇の価値である。余暇とは自分が主人公であることを実感できる貴重なひとときなのである。その意味では「自由時間」という用語のほうがふさわしい。

ある哲学者は述べている。「自由時間は無時間ではなく、広域にわたる強制力を持つ時計の比喩から解放された私たちは、各自の好みの時間の比喩を採用し、好みの秩序の中に生きることになる。日曜日を、私たちは、太陽の秩序のもとにすごしてもいいし、眠気の秩序に従ってもいい」(佐藤信夫『レトリックの記号論』より)。ここで「時間の比喩」といわれているのは近代社会の秩序ということである。秩序の象徴としての時計をとめて、各人の固有の時間に戻ることが「余暇の主体性」を得るということであり、レジャー・カウンセリングの究極の目標である。(2004.05.14記)

薗田碩哉著『余暇学への招待』P141 遊戯社 1999.6.1

100.友人

正直に告白すれば、私自身、理想的な友人にはあまり恵まれていない。一口に友情といっても、接し方はさまざまであり、私にも人生の関わることの半分くらいを打ち明けられる友人はいる。だが、精神分析家に感じるのと同じ程度の親密さでつきあえる友人は一人もいない。だからこそ、われわれは自分の話を聞いてもらい、ときどき意見を述べてもらうだけのために、一時間あたり二十ドルから二十五ドルという料金を払ってまでも、精神分析家のもとを訪れるのである。完全に信頼できる相手、恐れる必要がなく、自分を傷つけたり、自分の弱みにつけ込んだりする心配のない相手に向かって、思いの丈を包み隠さず打ち明けられるという特権は、何にもまさるものなのだ。(2004.04.30記)

アブラハム・マズロー 金井壽宏 監訳  大川修二 訳『完全なる経営』 P272 日本経済新聞社  2001.12.17

99.ユーリー・ノルシュテイン

ロシアのアニメ作家、ユーリー・ノルシュテインにちかごろハマっている。たまたま友人の代理でDVDをネット注文したのが馴れ初めだが、もう感動を通り越して、ただひたすら見入るしかないという素晴らしい仕上がりだ。先のキース・ジャレットの弁に通じるけれども、言語化され得ないものの気配というか、シナリオを超越した画面の存在感にただ圧倒される。まさに第一級の仕事であろう。特筆すべきは、彼の妻であり美術監督でもあるフランチェスカ・ヤールブソワの魔術的といってもよい画力である。

彼はあまり文筆活動を好まないという話であるが、ジブリ美術館での紹介が追い風になったのか我が国でも画文集の出版が続いている。「ああ、こんな本ができたなんて」と自らの作品集を他人ごとのように眺める微笑ましい映像は、ファンなら「絶対買う」と思わせるに充分であろう。

話は変わるが、自分の好きな作家が、自分の好きな書物から引用している箇所を読むのが私はとにかく大好きだ。最後に、ノルシュテインがマルクス・アウレーリウスについて語っている部分を引用しておく。(2004.04.19記)

……旅人が行く。彼は食卓に招かれ、ネコは海を眺め、海ではサカナが泳いでいる……特別なことはなにも起こらない。だが、実際に私にとって、この、事件のなさが、ずっと強烈で壮大であることが明らかになった。聴覚と視覚をいたずらに刺激するが、心にはあまり響かずに絶え間なく変化する事件よりも。その当時私の座右の書の1冊にマルクス・アウレーリウスの《自省録》があった。驚くべきは、全く到達不可能な権力の頂点に上り詰め、ヨーロッパの半分を支配した人間が、パンの割れ目や樹皮を這うアリについて書いていることである。彼は習慣(*)を変える能力はなかった。なぜなら彼は自分の時代との闘いに踏み入ることができなかったから。

構成・文―ユーリー・ノルシュテイン 訳―児島宏子『フラーニャと私』 P36

(*)慣習もしくは習俗と訳すべきであろう。彼が変えることができなかったのは世間であって、自らの習慣ではない。ノルシュテインは ストア哲学者の基本的態度のことを書いているように思う。

98.翻訳されないエネルギー

野生の動物がうなっているのを見た場合、「なんて美しい動物だろう」って言うよね。「この動物、何を怒っているんだろう」とは思わない。そういうことなんだ。ぼくにはそのエネルギー自体が美であって、そのエネルギーによって結果的に生まれる色合いにはそれほど興味がない。..... 誰にでもあり得ることだと思うんだ。突然、怒りというのではなくて、信じられないような熱情を感じる場合があるよね。これは怒りとは違って、野生の動物のと同じような、激しい、強烈な感じが心を満たす。次にどうするかと言えば、「これはどうしてだろう?」と自問する。この疑問に対しては科学的に、いや論理的に答えるしかないと考えてしまう。どうしてこの熱情を感じるのか? ああそうか、ここでこうなって、だから、うんうん、そういうことだったのか。じゃあ今日はオレ、もうめちゃくちゃに怒るぞって、ぐあいに。

しかし、そうなってしまうと、エネルギーがあったのに、そのエネルギーを怒りに翻訳してしまったことになる。....

ぼくは人生というのは自分がどう感じているかということがすべてだと思う。その感じを脳が何が扱いやすいものに変えてしまう前の状態のそのフィーリング、それこそがすべてだ。覚醒状態にいるとエネルギーそのものを感じることができるから、もう自分の感情に混乱させられることはなくなる。実際、感情を分析しない限り大丈夫なんだ。(キース・ジャレット)(2004.04.17記)

山下邦彦編『坂本龍一・全仕事』太田出版 P116より
原文は『キース・ジャレット』音楽之友社

97.休日

休日とは疎外と消費のコンセプトである。気晴らしするには自転車に乗れば充分。僕らは休日からも解放されているのだ。(2004.04.05記)

パスカル・ビュッシー著 明石政紀訳『クラフトワーク マン・マシーンとミュージック』水声社

96.無用者

近代精神から見てしばしば、というよりほとんどいつも批判の対象となり、軽蔑あるいは誤解の対象となるのは、観想修道会である。カルメル会のような観想修道会は、原則としていわゆる労働はしない。もっぱら考えてお祈りしているわけである。毎日毎日黙々とお祈りしている生活の価値は、世俗においてはあまり認められないようである。余計者と思われるおそれすらある。なにしろあまり働かずして食っているのだから。ところがカトリックの中では、こういう修道会がいちばん重要だと言ってもよい。収入のための努力をしないで神の恩寵を味わってくれる人々が社会にいるということは、きわめて貴重なことなのである。

われわれは働かざるを得ずに働くことが多いので、しばしば高いところを見るのを忘れる。毎日あくせくと働いてばかりいるわれわれにかわって―その意味では受動的な立場にあって―神の恩寵を味わってくれる人たちが同じコミュニティーに、あるいは同じ社会にいるということは、非常に好ましいことであると考える人生観もあるのである。

近代はすぐに役に立たないものを切って捨てることに熱心になった社会と言えよう。これがアメリカでは実用主義になったわけであり、その代表的な教育学者のジョン・デューイのごときは、「黙想などやっている人間を賢人というのはおかしい、それは要するにエゴイストではないか」と言っているのである。もっと実際的なほうでは、ヒトラーはたくさんの精神薄弱者を集めて殺してしまった。これも無用者は殺せという近代思想の極端まで行った形である。

しかし、中世においては精神薄弱者ですら歓迎されていた傾向があった。今でもベルギーには村じゅうこぞって精神薄弱者を住まわせていっしょに暮らしているところが残っている。(*) 直接役に立つものだけが尊いのではないという態度は、ヒトラーと対照的な立場にあると言えよう。(2004.03.14記)

渡辺昇一『知的風景の中の女性』P137

(*)メキシコでも同種の習俗があった気がする。調べておこう。

95.無題

世間で認められ、誰からもほめられる人は大抵、落ちついた、かなり義務に忠実な、利己主義者である。彼らの道を踏んではならない。(2004.03.07記)

94.無題

何度も同じことを言う人には、同じことを何度でも言い返すしかない。(2004.03.03記)

93.三鷹に引っ越したら

  • ジブリ美術館の市民枠を利用してユーリー・ノルシュテイン展を鑑賞。
  • 速攻で図書館カード作成(新居と激近)
  • 深大寺まで歩き・そば食べる
  • 大型DIY店、Jマートにてサボテンの物色
  • 井の頭公園で終日「恍惚の人」する
  • 銭湯「千代乃湯」にて200円のビールを飲む
  • 吉祥寺でエスニック料理のはしご&近隣の友達と飲み
  • 自転車で中古レコード屋&古本屋めぐり
  • 三鷹始発の総武線(余裕で座席を確保)で秋葉原に行き、「東京ラジオデパート」にて電子部品を買い占める 。そのまま帰る。

なんかしょぼい夢ばっかりだな....(2004.02.25記)

92.引っ越しその2

温泉その2で「長針のない時計」の話をしたが、友達にたずねると「そりゃ12分計だろ」といわれた。100℃以上のサウナに入る場合、これくらいの時間が頃合いだそうである。ついでに「あの温泉は杏里のお父さんが経営している」とも教えてくれた。

その友人はかれこれ16年も今のアパートに住んでいるので地域情報に精通している。16年といえば、赤子が高校生になるくらいの時間である。もうほとんど地元民といってよい。引っ越しすることを告げると彼は恨めしそうな顔し、「オレも引っ越してーっ」をしつこく繰り返すのだが、失業中の身ではどの不動産も取り合ってくれないであろう。

小生も収入が不安定な個人事業主ということで、公務員の姉を連帯保証人に立てるなど、成約にいたるまで少なからず手間を要した。「引っ越したいなら会社を辞める前に済ませるべし」というのが、残念ながら世間の掟のようである。(2004.02.24記)

91.引っ越しその1

毎日の引っ越し作業で日記更新もすっかりご無沙汰してしまった。新居は三鷹市に決定。やっと神奈川県を脱出できそう。思えば、米軍厚木基地から毎日元気に発進するジェット戦闘機の爆音に悩まされて早8年。ずいぶん長居をしたものである。新居は閑静な住宅街にあるので騒音とは無縁と思っていたが、なんと裏手に幼稚園があり、9時から2時までは園児たちの元気なシャウトがキンキン響きまくるのであった。午前中は仕事、午後から散歩、夜は読書というのが会社を辞めてからの日課であったが、大いに崩れそうな予感。(2004.02.23記)

90.オブリーク・ストラティジス

どうやってオブリーク・ストラティジスを考え出したのですか?

ロキシーができて、ファーストアルバムを作ったとき、−−もちろんあのアルバムはとても好きだけど−−−アルバムができて、そのレコードを家で聴く段になると、「こうすればよかった、ああすればよかったのに」と思い始めた。もう少し離れたところから見たり、ちがう見方をとっていたら、大きなちがいが生じるような個所が、たくさん見つかった。急に。だから次のアルバムの録音のときは、25枚位他のカードを作って、スタジオに張ったんだ。いつも自分に、思い出させるためにね。これがオブリーク・ストラティジスのアイデイアだ。今使っている組にも、その頃のものの多くは残っているよ。

スタジオの中で落ち入る一種のパニック状態はリアルじゃない。そういうのは、音楽のためになるとは限らない。8時までに来て、9時までに何か終わらせなくてはならない、なんていうのは。だから、とても直線的な方法で、進めていってしまいがちになる。だが、その直線が、正しい方向をめざしていないとしたら、どんなにハードにやったとしても、どこにも到達するはずがない。このカードの役目は、正しい方向を向いているかどうかを常に問うことがある。例えば、「ああいうやり方はどうか」というように、それ以来、レコーディングでスタジオに入るたびにカードに色々付け加えていった.....これは役に立ちそうだと思い始めて、とうとう小さな本にして出版した。今でも役に立っている。

カードは無作為に引くのですか?それとも、その時の状況に、関連のあるカードにあたるまで、次々にカードを見ていくのですか?

いつも無作為だ。他の人はカードを選ぶけれど、私は行き詰まって、助けが要るとき以外は、カードを使わない。私が作品を作る場合、2つの特異な点がある。ひとつは、作品をそれ事体で歩かせてしまうこと。つまり私がすべてインプットしてしまったら、何かをそこから起こさせること。もうひとつは、色んな物がひとつの方法で、それも私がインプットした物からは、予想も予見もされない方法で組み合わされ出した場合だ。こういう状態ならすべてOKだ。なぜならその時は、作品がそれ事体の条件を、支配し始めるのだから。つまり、ある先の動きが必要になるような、アイデンティティを得ていくのだ。でも一番目の状態では、行き詰まりになってしまう。何を与えれば良いかわからない。そういう時、カードを1枚引くことにしているんだ。(2004.02.17記)

ブライアン・イーノ インタビュー『フールズメイトspecialstock vol.2』

89.機械的その2

バロック時代に「トッカータ」という楽曲形式が流行したのであるが、これも書きながら考えよう、作曲よりまず演奏してみよう、という考え方の最たるものである。実をいうとトッカータはもともと即興演奏を指し、演奏者は聴衆の前でいきなり楽譜なしで弾き始めることも多かった。あれこれやっているうちに、いくつかの主題が偶然飛び出だしてくる。今度は、それをフーガやパッサカリアという型式にはめ、やはり即興にて展開する。結果的には、堂々たる作品が演奏しながら生まれてくるわけである(発散と収束)。バロックの作曲家が多産な理由はここにある。

心理学者アブラハム・マズローも、書きながら考える典型的人物であった。自身がそう語っているのみならず、その文体からも十分伺える。正直いうと、マズローの文章はたいへん読みにくい。論理的にまとめていこうというより、何か新しいことを発見するまでのプロセスに注力しているからである。これは瞑想録といったほうがよいのではないか。彼の場合は、PWをそのまま主著にした印象である。

ヒルティも仕事の技法について「何よりも肝心なのは、思いきってやり始めることである」とアドバイスしているが、確かに我々は毎日なんとなく考えているだけで、実際には何もしていないことが多いものである。仕事とは、思考の記録にほかならないとすれば、記録されない思考は、どこにも存在しえない。つまり、何もしていないのと等価であろう。

「なにかすごいものを作ってやろう」「気の利いたことを思いついてやろう」といった気負いを取り去り、思考のスタートを切りやすくしてくれるのもPWの利点である。著者は「肩の力を抜く」「90パーセントの力で」「期待値を下げる」といった言葉で表現しているが、そういうときこそ、最大限の力が発揮されるのは誰しも経験するところであろう。 (2004.02.16記)

88.機械的その1

先週出たばかりのマーク・リービー著『書きながら考えるとうまくいく』を読み、「プライベート・ライティング(以下PWと略す)」という言葉を知った。

PWは見せるための文章ではなく、純粋に自分のためだけに書くことを意味している。だからまとまりなどなくてもよいし、他人にとっては意味不明であってもよい。そういう意味で我がジャイナ日記は不合格である。自分ではプライベートだと思っていても、やはりそこには他人の目をつねに意識しているところがある。その点、PWはむしろ自動書記に近く、無意識領域の赤裸な記録ともいえるであろう。

自分のやりたいこと、悩み事など、モヤモヤと考えているよりは、まず書き出してみる。意識は指先より圧倒的に高速だから、ゆっくり書いていては周回遅れになってしまう。書き殴りでもいいからとにかく速く書く。すると自分でも驚くほどのアイデアが量産されるという。もちろん、その中にはゴミ以下のものも混入しているであろう。だが、PWはもともと誰に見られるものでもないので、恥ずかしがることはまったくない。

著者はさらに、長くても数十分の時限設定を推奨している。PWは思考の全力疾走を要求するので、ゴールを明確にすれば途中息切れすることがない。一気呵成に書き上げることができる。ここで、ふと思い出すのがイギリスの小説家アンソニー・トロロープの仕事ぶりである。

トロロープは十九歳のときに郵便局に入り、三十三年勤務した。三十二歳から小説を書き出し、はじめは失敗作ばかりであったが、それにもめげず、四十歳のときにヒットを出し、六十七歳で死ぬまでに長編小説五十四篇を出版した。.......毎朝五時半に起床して、二時間半書く。平均速度は十五分間二百五十字。だから一冊の本を書き上げるのに何日かかるかも計算できた。彼は後に巡回郵便監督官として方々まわって歩いたが、旅先のホテルでも船の中でも、朝飯前の二時間半は、とにかく機械的に小説を書いた。......あまりにも機械的な書き方を公表したため、トロロープは死語しばらくは人気が落ちたが、小説の質が良かったために間もなく復活し、二、三年前にはアメリカで彼の小説の一つがテレビ化されたこともあってベストセラーにランクされ、彼の他の小説までペーパーバックで多く出た。出るやたちまち売り切れの店が続出したという。

渡辺昇一著『続・知的生活の方法』講談社現代新書

トロロープのように「機械的に作業する」ことこそ、心理学者チクセントミハイが提示した「フロー状態」という、高度に集中的な、内省的な時間を迎える正門なのではないか。そういう意味で創造的行為というのは、単に習慣の問題にすぎない。一瞬の閃きや感興と呼ばれるものも、ルーチンワークから自然に産出されるものなのである。.....(続く)(2004.02.15記)

87.色彩

「鋭敏な感性だけ摘みとられていく、この不条理な天の配剤が怨めしい」

1990年、イタリアの作曲家ルイジ・ノオノが亡くなったとき、武満徹はこうつぶやいた。

そして1992年、ジョン・ケイジとオリビエ・メシアンの死。彼等は現代音楽の精神的支柱たる存在であったから、天を怨むのは武満だけではなかったであろう(*)。メシアン死去の4年程前に超大作「アッシジの聖フランチェスコ」完成のニュースを聞いたとき、「これが遺作になるのでは…」と正直思った。実際にはその後3つほど新作を書き下ろしたものの、やはり最後の代表作となってしまった。

友人に録ってもらった「アッシジの聖フランチェスコ」を聴く。人の合唱と巨大な楽器群が、疾風怒濤のごとく責めぎあうヘヴィさにまず圧倒された。制作に要した8年の歳月が、4時間に濃縮されているといった印象である。この巨大な編成はすべて、彼のパレットを何千種という多彩な「色」で満たすために用いられた手法であろう。特に打楽器と管楽器の絡みなど、極彩色がすぎるくらいだ。

こうしてみると、メシアンの音楽それ自体が、色彩以外の何者でもないように思えてくる。例えば14世紀フランスの音楽家達が、旋律そのものをコロル(color=色)と呼んでいたように。またインドの聖典が、「耳から入り込み、精神を着色するもの」と音楽を諭すように。とすれば彼が「トゥーランガリラ交響曲」という異教的人類愛に行き着いたのも、キリスト者としての自我と、東洋的宇宙観とが有機的結合を果たす幻視の世界に、「色彩」をキータームとして到達したからではないか。

視覚と聴覚の相互関係という末端的解釈にとどまらず、色彩を生み出す根元に着眼してこそ、メシアンの音楽は生気を帯びてくるように思うのだが。(2004.02.14記)

(*)ご存じの通り、武満徹も1996年に他界した。

86.温泉その3

但し書きによると、サウナに6〜7分入った後は冷水浴するのが「本格」らしい。本場フィンランドでは凍った湖面に穴を開け、そのままダイブするという話である。欧州人はもともと水温6〜9℃でも平気な顔で水浴する連中だから無視するとして、われわれ日本人は20℃くらいで十分であろう。結局その20℃でも10秒ともたず、軟弱ながら「あつ湯」に入り直した。そしてまたサウナという繰り返しである。

照明を落とした大部屋に布団が多数しいてあったので、仮眠をとることにした。なぜだかわからないが、涙が止まらない。ここ一年ほど、いろんなことに息をつめて、我慢してきたせいであろうか。これも浄我(カタルシス)のひとつかもしれぬ。やはり気負っていたのだなと実感した。

こうして人生初のサウナ体験は成功裡のうちに幕を閉じた。午前9時〜12時なら入泉料が半額になることをチェックしつつ、爽快な気分で門を後にした。もちろん、風邪も一足飛びに快方へ向かったことはいうまでもないであろう。(2004.02.13記)

85.温泉その2

会計を済ませるとすぐさま服を脱ぎ、「あつ湯」なるものに浸かることにした。困ったことにまったく暖まらない。逆に寒くて鼻水まで出てくる始末である。ますますブルーになったものの、幸いハッピーランドは自慢の「本格北欧風ドライサウナ」を擁している。次の一手はまだ残っている計算である。

恥ずかしながら、実はこの年になるまでサウナというものを経験したことがなく、何が本格北欧風なのかとんとわからない。私のサウナ像はといえば、水島漫画で球児が酒を抜くときに使用するアレくらいである。そもそも酒浸りの高校生自体いかがなものかとは思うが、とにかく蒸気で意識が遠のくようなモワーっとしたイメージだ。 しかしハッピーランドのサウナはその逆で、乾燥しきっており、しかも熱い。これは単なる火あぶりといってもよい。モワーっがあるサウナは、いわゆるスチームサウナ(蒸し風呂)と呼ばれる別種のものだと悟った。北欧風ドライサウナとは、要するに灼熱に身をさらすと汗が出る、という至極原始的な仕組みである。

温度は100度強に設定されているらしく、濡れた髪の毛も一瞬にして乾ききった。そして、ついに待ちに待った大量の汗がおでましである。周囲に座っているオヤジたちも、みな黙したまま恍惚とした表情だ。

なぜか長針のない時計が置いてあったが、これでサウナから出る頃合いを見てくれということであろうか。なぜ普通の時計じゃダメなのかと首をかしげたが、この過酷な環境下では時計も正確さを失うということであろう。ということは、やはり短針も正確ではないのであるが、まあ「サウナ時間」ということで多少の誤差は免罪されているのであろう.......続く(2004.02.10記)

84.温泉その1

いま流行の風邪はまったくもって厄介である。

すでに二週間以上経過しているというのに、咳がとれずいっこうに治る気配がない。友人たちに確認しても、みな一様に「そうだ、そうだ」と同意する。先日、一月ぶりに会ったお得意先の人は、一月前と同じくマスクをし、変わらず苦しそうだった。

このままでは自分も長患いとなってしまう。何か荒療治はないものかと首をひねってみたが、思い出すのは幼少のころよく母にアロエの葉(茎か?)を足の裏に貼ってもらい、布団でぐるぐる巻きにされたことであった。原理は不明ながら、とにかく汗が大量に湧出し、すっきりするのである。

熱や咳というのは、要するに体内の毒素を懸命に排除する作用であるから、解熱剤や咳止めで抑えるよりも、むしろその作用を手助けしてやる工夫が必要となる。もっとも効率的なのはやはり、全身の穴からの排出、つまり発汗作用ということなのであろう。

哀しいことに、年をとるとこの汗をかくという行為自体が難しくなってくる。エアコンを31度にし、灯油ストーブを「強」に設定し、電気毛布を「ダニ退治モード」にしてもまだブルブルと震える始末だ。そこで最後の選択肢として、温泉に出向いて汗をかきまくることにした。幸い、すぐ近所に「ハッピーランド」なる保養施設が24時間営業している。しかも「アルカリ温泉で爽やかな健康素肌」と謳っており、なにやらヘルシーそうである。

門をくぐると、お約束ながらカラオケに興じるオヤジ達の怒号のような歌声と、合いの手とも何とも言いかねるオバチャンの笑い声がフロントまで響きまくっている。おそらく入泉料込のお得な「ちょっと一杯セット」なぞを注文したために、おさまりがつかず追加オーダーですっかり出来上がった手合いであろう.....続く(2004.02.09記)

83.ゲーム

約三千年前、アティスが小アジア、リディアの王であった頃、大飢饉が彼の領土を襲った。

しばらくの間、人々は、豊穣の再来を待ち、不平も言わず自らの運命を受け入れていた。しかし事態の改善が望めなくなった時、リディア人は奇妙な問題解決策を考案した。

「飢饉への対策は、食物への切望を感じなくなるくらい、一日をゲームに没頭することであった」

とヘロドトスは書いている。

「そして次の日はゲームを断って食べるためにあてられた。このようにして彼らは十八年を過ごした」。(2004.02.08記)

M・チクセントミハイ著 今村浩明訳 『楽しむということ』P5 思索社 1991

82.格言

インド滞在時に購入した大学ノートの表紙裏を見たら、「成功の法則」と題して人生訓が二十あまり列記されていた。インド人というのは全くこの手の訓戒に目が無いらしく、何かにつけて「するべし」「するなかれ」的な制限を自らに課しては悦に入っているようにみえる。仏教やヒンドゥー教の聖者達が考案した訓戒は、今や世界市場で取引されている時代なわけだが、地元インドが最大の買い手であることは疑う余地がないであろう。

話のついでに、「成功の法則」と題されたそのいくつかを紹介しておこう。

  • 最大の好機.......今目の前のもの
  • 最大の愚か者.......自らをあざむく者
  • 最大の祝福.......健康であること
  • 人生で最も確実なこと.......変化すること
  • 最も危険な人物.......嘘つき
  • 最も満足のいく体験.......己の義務をまず最初に果たすこと
  • 最大の喜び.......必要とされること
  • 最大の障害.......恐怖

書き手もこの手のネタを抜き書きするのがどうにもやめられず、まるで写経でもするかのごとく日記にせっせと書き写している。ヒルティはこのような人間を「格言蒐集家」と命名しているが、そういわれればなるほど収集することに夢中になるあまり、実行のほうがお留守になっている気がしないでもない。これはまさしく偽善の典型であり、口先だけのもっとも信用のおけない部類の人間ということになりそうである。

そういえば、むかし友達に「生臭坊主」と呼ばれたことがあった。このネーミングにはもう返す言葉もなく、周囲もその的確さに黙ってうなづくばかりであった。「酒を飲んでバカ騒ぎしているくせにジャイナ教を語るとは何事ぞ!」と追求されればもう平身低頭するよりしかたがない。

ブッダ・ガヤー日本寺の駐在僧である小林さんにお会いした際、「土大ければ仏も大なり」という言葉を教えていただいた。汚れている人ほど仏を希求する熱意も大きいという意味であろうか。そう、自分もそれなんです、と主張したらまたしても偽善者扱いされそうではあるが。(2004.02.05記)

81.マリーチ

ジャイナ教にはティールタンカラという24人の祖師たちが伝えられている。その最初がリッシャバで、最後がブッダとも同時代のマハーヴィーラである。実はこの二人、時空を超えた血縁関係とでもいえる間柄で、リッシャバの孫息子マリーチが、後にマハーヴィーラとして再生したという伝承が残されている。

あるときマリーチは、自分が来世でジナ(完成された人)になるという啓示を受けた。このため彼は高慢におちいってしまい、最後の、そして短命なジナにしかなれなかったという。ちなみにリッシャバは六十万歳まで存命であり、マハーヴィーラは七十二歳で没している。

マリーチ

ジャイナ教徒のあいだでも、マリーチの扱いにはほとほと困っているようで、なんでこんないいかげんで修行の足りないヤツがティールタンカラになれるのだ、と初学者からの素朴な疑問が後をたたない。

しかし、どうにもこのマリーチという男は憎めないヤツだ。このイラストをご覧になった方であれば同意して下さると思うが、やはりジャイナだけあって浮かれ方ひとつとってもどこかキュートである。高慢といっても風のように優雅ではないか。さすがは未来のティールタンカラだ、と思わせる品格がただよっている。

こんな人が身近にいたら世間はちょっと鬱陶しいだろうが、個人的には懇意になりたい輩ではある。(2004.02.04記)

80.反省

たえず自分のこと他人のことを反省ばかりしている人たちも、安らぎのない、信頼できない仲間である。そういう人たちは常に虚栄心が強く、しかも弱気で、自己評価も、他人についての判断も、限りなく動揺する。彼らはだれをも愛しない、自分をさえ必ずしも愛してはいない。そしてだれからも愛されない。こういう人達を避けよ。(2004.02.01記)

『幸福論 2部』(ヒルティ著/草間 平作、大和 邦太郎 訳) P125 岩波文庫

79.インフルエンザ

昨日は急な高熱のため日記を休んでしまった。せっかく毎日更新してたのに残念である。今日になっても熱が下がらないので、これはもしやインフルエンザでは、と心配になり目が覚めるとすぐさま病院へ行った。

「インフルエンザっていうのは私が眼鏡をかけても見えないんですよ」と医者は言い、ここが笑いどころだとでも言わんばかりに間をおいたが、こっちは高熱で他人のボケに気遣う余裕はない。

じゃあどうすればいいんですかっ、と問う間もなく竹串ほどの巨大な綿棒を鼻の穴に突っこまれた。「はい、じっとしててくださいねー」といわれることしばし。綿棒の先端には見事に鼻腔内奥の粘液が採取されていたのであった。さらに待つこと15分。「おめでとうございます。検査の結果は陰性ですよ!」とまたしても愉快げに言われたものの、喜びを表現する体力はすでになく、「アウッ、アウッ」とマスクごしに挨拶し、そそくさと会計に足を運んだ。(2004.01.27記)

78.救済

最近話題になることの多い自己救済の問題について考えてみたい。サンタローザで開催された実存主義者の会合ではこの種の話題が多かったのだが、私は席上苛立ちを爆発させ、救済を求める人間を尊重する気になれない旨を発表した。それというのも、救済を求める人間は利己的で、他人や社会に対して何の貢献もなしえないからだ。さらに、こういう人間は心理学的な意味においても愚者であり、過ちを犯している。自分だけが救われる道を求めるなど、自己救済の方法としてはとにかく邪道もいいところだ。そのときの講演で述べたことだが、自己救済に通じる唯一の正しい道とは、日本映画『生きる』(自分がガンだと知った主人公がいったんは投げやりになるが、それまで勤めていた役所での仕事ぶりとはまったく違う新しい自分らしい生き方で、社会にも役立つ生き方を探る黒澤明監督の一九五二年の映画)で描かれているような道なのだ。つまり、まじめに働くこと、自分が運命づけられた「天職」を何としてもやりとげようとすること、それが救済につながるのである。(2004.01.25記)

アブラハム・マズロー 金井壽宏 監訳  大川修二 訳『完全なる経営』 P12 日本経済新聞社  2001.12.17

77.Jain Artまた更新

今回は空衣派の聖地シュラバナベルゴラを更新。本当はいろいろ解説が必要なんですが、まずは感覚的にお楽しみください。(2004.01.24記)

76.無責任さ

幸い私は「大学」と縁を切ることができました。外国へ行ったきり国へは帰らなかったから、その分、縁を切るのは簡単でした。おかげで学位論文を書く必要もなければ、大学の教職にもつかずに済んだわけです。その後は、自分は「私的思想家」-と言えば、いささか大げさかも知れませんが、でもやっぱりそういうものなんだと思ってきました。ヨブは、「私的思想家」と言われていましたが、まあ、もっとも、私的思想家になること、ヨブのエピゴーネンになることは私の野望でした。私がだれかの弟子だったとすれば、さしずめヨブの弟子でしょうね。もし大学の教職などに就いていたら、こういう野望はみんなご破算になり、私にしても、いずれは野望のことなど忘れてしまったでしょうね、教職に就いていたら、しかめつらしい文体と、没個性的な思考の採用を余儀なくされたでしょうから。いつだったか、講座の正教授であるフランスの哲学者に「あなたは個性を失うために給料をもらっているんだよ」と言ったことがありますがね。こういう人たちが、やれ「存在論「だの、やれ「全体性の問題」だのについて論じているんですよ。

私には職業もなければ義務もない、私は自分の名においてしゃべることができる。私は独立の人間で、教えなければならない義務もない。書いているとき、出版される本のことなど念頭にはなく、私は自分のために書く。申し上げておかなければなりませんが、この無責任さ、これが私の幸運であることがわかったんですよ。私は誰にも頼らなかった。すくなくともこの点では、私は自由だった。問題を考えるときは、自分の職業とはかかわりなしに考えなければならないし、まったく周縁人の立場に立たなければならないだろうと思っています。もちろん私は先駆者などではなく、せいぜい……そうですね、ひとりの周縁人というところでしょうか。(2004.01.23記)

シオラン著 金井 祐訳『シオラン対談集』 P251 法政大学出版局 叢書ウニベルシタス586