どういう心のメカニズムがそうさせるのかはわからないけれども、いつの時代にも、自分がほんとうに生きるべきなのは今の時代ではなく、今よりもずっと古い時代なのではないか、と考えつづける人たちがいる。
今の人たちが考えたり語り合ったりしていることに対しては、どうしてかあまり共感をいだくことができないのに、ずっと昔の人たちの思考やことばのなかには、たいした予備知識もないのにすっと入り込んでいくことができ、そこで考えられていたことがまるで「いまここ」の出来事のようによく理解できて、しかも心が打ち震えるほど深い共感をおぼえる、というタイプの人たちである。
古い時代の記憶が、遠く時間を隔てた今の人の心に、間歇泉のようによみがえってくるのだ。これは人間の心のしめす不思議のひとつである。11
別化性能
ものごとの違いを見抜く能力
現代人の思考(奈良時代からすでにはじまった)
類化性能
一見するとまったく違ってみえるものどうしに類似性や共通性を発見する能力
古代人の考えかた(人類の心を生み出したもの)
野生の思考(La Pensee sauvage)
自然智(Natural Wisdom)
アナロジー、比喩、音、かたち、象徴、イメージ、しぐさ、森羅万象をむすぶ
現代の考古学は、そういう「比喩」が獲得されることによって、わたしたちホモサピエンスが出現したと考えている。19
折口信夫の古代
奈良朝、古墳時代、弥生時代、縄文時代にまで達するどころか、現在の人類の心が生まれたはじまり、旧石器時代まで到達せんとする未来の学問20
古代人とは
この類化性能によって世界をとらえていた人びと
スンダランド
...近年南九州で、きわめて初期の縄文土器がつぎつぎと発見されている。高度な新石器型文化をもった人々が、島づたいの航海をして、この列島にたどりついた。一万数千年前のことである。
その頃は、いまのインドネシア海域の島々は、スンダランドという巨大な大陸の一部だった。その大陸は氷河期のあと、大部分が海中に没してしまったが、そのスンダランドを中心として、南方世界に高度な新石器文化が栄えていた。その地域から、フィリピン諸島と台湾を伝って、いくつものグループが日本列島に渡ってきて、縄文文化の基礎を築いたということが知られている。
つまり、折口信夫の言う「古代人」は、南方の海洋世界を自分たちの「魂のふるさと」としているのだ。43-44
折口信夫の神道
折口信夫の考える神道は、歴史の中のどこでもまだ実現されたことのない、ひとつの理念の構造として考えられている。そしてそれが実現されるためには、いままでの宗教が一度も利用したことのない表現手段が活用されなければならない。だからそれはむしろ現代の高度なメディア・テクノロジーの時代でこそ、はじめて現実性をおびる思想なのではあるまいか、とすら思われる。111
古代人は未来人なるか
あらゆる宗教の終焉の果てに、組織化された自然智が、人類の思想の様式として復活を果たすのか、それとも、徹底的に合理化と技術化された世界からは、魂などというものは、葬り去られてしまうのか。
わたしたちは次々と前後左右に危険な曲がり角が出現してくるような時代を生きている。しかしそういう時代にあってこそ、折口信夫の思想は、みずみずしい生命を輝かせているように感じられる。それは、彼が「古代」ということばで、歴史の誕生以前、その死以後を、つねに思考していたからなのである。112
中沢新一『古代から来た未来人 折口信夫 』 ちくまプリマー新書





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