記事のカテゴリ:

 

盆踊りと縄文

...夏の時期の精霊来訪の祭りは、のちのち仏教化されて、お盆の行事となったけれど、そこには「古代人」の思考の原型がはっきり残っている。

お盆の行事としておこなわれる「盆踊り」を見てみよう。盆踊りの古いかたちを見てみると、村の人々が村の外からなにか目に見えない霊を迎え入れ、渦を巻き込むようにして踊りはじめる。生きている者と精霊がいっしょになって、円陣をつくってグルグルと村の広場で世を徹して踊るのである。

精霊とともにすごした幾夜かがすぎると、人々は円を解いて、そのまま村はずれまで列をなして行進していく。そして村はずれの川や埋葬地の近くで、精霊を切り離す儀式をおこなうのである。

この期間、立派な祖霊もすこし危険なところのある亡霊も、大切な訪問客として、ていねいにもてなされる。夏の精霊の祭りでは、客人である霊はまったく人間の訪問客のもてなしと同じ考えで、迎え入れられるのだ。(P24)...


...最近の縄文遺跡の発掘でいよいよあきらかになってきたことは、縄文人たちが自分たちの村を円環状につくり、その真ん中にできた広場に、死者を埋葬していたという事実である。昼間は広場に立ち入ることを慎んでいた人たちが、夜になると広場に集まってくる。そして、死者を埋葬した上で、踊るのである。

踊りのステップに合わせて、地中から死者が立ち現れてきて、生者といっしょになって踊り出す。いまの盆踊りの原型である。そのとき、死者と生者の間の距離は、ほとんどくなくなってしまっている。「古代人」はそういう状況を、別に怖いとも恐ろしいとも、思っていなかったのだろう。むしろ、生と死は分離できないというのが、「古代人」の基本哲学であったから、生者と死者が一体となって踊っている、こういう夜の状況こそが、この世界の真実のあり方をあらわしているもの、と考えられたのではないだろうか。

しかし弥生時代になると、早くも死者の分離がはじまる。もう村の真ん中が死者の埋葬地というような古い考えは捨てられて、村から少し離れた山裾に墓地が設けられるようになった。そうなると、一般の人のもとには、夜、気軽に死霊があらわれてきて、いっしょに交流するなどということはなくなってきた。特別な巫女や男巫女のようなシャーマンのもとにだけ、死者の霊は訪れるようになる。(P82)...
中沢新一『古代から来た未来人 折口信夫  』   ちくまプリマー新書


ペルセポネーの神話や、あるいはギリシア以外の文明の似たような神話もまた、興味深い例を私たちに提供してくれる。若い娘の冥府降下が舞踏化されている地方では、私たちはほとんど必ず螺旋の形にぶつかるのだ。螺旋は、中心の井戸をめぐる九つの舞踏の環によって表現される。68

コルシカ島では、かつて葬礼の日、死者の遺骸の横たわる棺を中心として、職業的な泣き女や弔歌を歌う女らが、螺旋を描きながら踊りの行列を練り、これをカラゴラス(蝸牛の意)と称したという。

プロヴァンス地方でも、聖体祭の祝日後の木曜日、同じような螺旋の行列が今なお行われている。69

螺旋の道によって象徴された深淵への降下は、おそらく中心の探求であろう。それは自己の探求、あるいは宇宙感覚の探求と言い変えても差支えあるまい。この探求は、ほとんとつねに死を含み、この死は、ほとんどつねに再生を伴うのである。だから螺旋は、死と再生を実現しながら、たえず更新される人間精神の活力の表現である、とも言えるのだ。ベルヌーイが自分の墓石に対数渦巻を彫らせたように、あの二十世紀初頭の奇矯な詩人アルフレッド・ジャリも、ユビュ王の巨大な腹に不思議な渦巻の紋章を描いた。螺旋の呪力は、どうやらまだ死んではいないようである。70

澁澤龍彦『胡桃の中の世界』青土社

古いニンゲン

どういう心のメカニズムがそうさせるのかはわからないけれども、いつの時代にも、自分がほんとうに生きるべきな...

考えるニンゲン

縄文・メキシコ・キクラデス・アフリカ(左上より)...
 

レコメン魂

  • Kamikaze 1989
  • Pinnacles
  • 80年代TDサウンドの核 PPG
  • Exit
  • Hyperborea
  • FAMILIAR COMPUTING WORLD
  • EGGレコード抜き書き
  • Ignacio
  • Bruits et Temps Analogues