ポメラにまず書き殴り、PCにデータを移して補筆・編集・推敲というフローは一見してなるほどスマートだと思わせるが、後半のプロセスで結局デスクトップにはりつくことになる。
机に向かっても何やら筆が進まない、煮詰まったから場所を変えよう、Cocosかドトールに行こうというとき、ポメラをUSBケーブルでまたPCにつなぎ、そこまで仕上げた原稿を転送して...という雑事が思考の流れに割って入ることになる。(*)
仮にそれはたいした手間ではないとしても、ドトールから戻ってきて、続きはネットで情報の裏をとりながら、ブラウザと原稿を並置して直したり引用したりといったばあいに、また原稿をPCに移すという作業がはいる。原稿が一本だけならいいとしても、たとえば雑誌編集者であればコラムやら特集記事やら複数の原稿をかかえているのが常態というもので、ここにファイル管理という余計な手間がはいってくる。
転送作業そのものというよりは、PC上の原稿とポメラ上の原稿のどっちが新しいのか見比べて判断するといった、アタマの手間である。「上書きしてもよろしいですか?」のアラートがでるとつい躊躇してしまう。疲労と緊張でフラフラの頭脳というものは、考えず何でも保存しておこうと傾きがちであるから、新規フォルダをつくって、PC上のデータをとりあえず放りこんだりする。
ポメラのほうが新しい原稿だとわかってはいても、もしものばあいを考え念のためバックアップをということになって、ファイル管理はさらに複雑化する。そのうちフォルダがいっぱいになって、はて、これはなんの原稿だったか、わからないけどとりあえずバックアップしておこうということになり、さらにわからなくなる。これは文章だけにかぎらず、デジタル上のあらゆる知的生産に共通する弱点である。
食い残しをラップしてちゃんと冷蔵庫に保存しても、毎日となるとそれっきりで忘却してしまい、数ヶ月後ミイラで発見されるというのと似ている。ほんとうは無きものにしたいが思い切れず保存してしまう。
もちろんKING JIMも、ポメラの立ち位置はあくまで「メモ帳」であると強調し、また今後もそうだと明言しているから、まったくお門違いの小言ではあろう。しかし日記などプライベートはいいとしても、まとまったモノを書かねばならぬ、もしくは書きたいニンゲンであるならば、メモだけですべてが完結することはまずない。たいていはメモ→ノート→メタ・ノート(あるいはメタ・メタノート)といった錬成工程を避けては通れないはずである。あの芭蕉でさえ、己の読んだ句になんども手を入れている。天才モーツアルトでさえそうである(弦楽四重奏)。
ポメラを使うことによって、この全体の流れがほんとうにスムースになるのか、よくよく考える必要があるとおもう。(続く)
(*)追記:ポメラ内のデータをそのままPCで開き、編集してそのままポメラ内に保存(もしくはSDに)することで、このような面倒を避けることができるかもしれない。しかし、いくらリチウム電池でバックアップされているとはいえ、ポメラ内にしかデータがないというのは心臓に悪い。置き忘れて紛失したら、データも道づれになってしまう





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