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忠霊塔

IMG_0449.jpg自転車に乗れるようになったら確かめたいことが二つあった。ひとつがこの忠霊塔である。たしか塔のてっぺんに梵字が書いてあったのだが、なんの字だったか自分の目で確認したいとおもっていた。


IMG_0451.jpg忠霊塔はぼくの幼少に強烈な印象を刻みこんだ。上町の人は禅林街のほうから来るのであろうが、下町のぼくはいつも忠霊塔の裏手の、狭い山道を登った記憶がある。夏休みになるとカブトムシを採集するためよく登ったのだが、かならず視界にあったのがこの建物であった。(現在は通行禁止となっている)

この一種グロテスクな建築様式はいまもって謎が多い。母の言によれば、もう少し上の世代の人たちから、学生のころ石を運ばされた話をきいたことがあるという。青森県学徒勤労動員の記録を調べると、昭和14年に学徒勤労動員で地ならしをしたと確かに記録されている。

IMG_0431.jpgしかし「忠霊墓塔誌」として現地に掲げられた看板には「昭和53年」の記があることから、土台部分は戦中の作であり、塔の部分は戦後のものではないかというのがぼくの仮説である。「わづかにその旧態を偲び」という一節の、「旧態」がつまりこのグロテスクな部分にあたるのではないか。

IMG_0455.jpg小学生のころ、たった一度だけ中に入ったことがある。それは夏休みのことで、おそらく終戦記念日の前後に一般公開されていたのだとおもう。

記憶に間違いがなければ、なかには白磁の壺がぎっしりと並んでいて暗く、狭かった。親にたずねると、「あの壺ひとつひとつに魂が納められている」といわれたのをおぼえている。その記憶がほんとうなのか確かめたくて、錠のかかった鉄柵になんども手をかけてしまった。

IMG_0433.jpg塔に書かれた梵字は「バク」であった。これは釈迦如来をあらわす種子(しゅじ)であろう。長勝寺の本尊がお釈迦様だったのだとはじめてわかった。

IMG_0447.jpgなぜ忠霊塔がこのような建築様式をとったのか、ご存じの方がいたらぜひ教えていただきたい。

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