自転車に乗れるようになったら確かめたいことが二つあった。ひとつがこの忠霊塔である。たしか塔のてっぺんに梵字が書いてあったのだが、なんの字だったか自分の目で確認したいとおもっていた。
忠霊塔はぼくの幼少に強烈な印象を刻みこんだ。上町の人は禅林街のほうから来るのであろうが、下町のぼくはいつも忠霊塔の裏手の、狭い山道を登った記憶がある。夏休みになるとカブトムシを採集するためよく登ったのだが、かならず視界にあったのがこの建物であった。(現在は通行禁止となっている)
この一種グロテスクな建築様式はいまもって謎が多い。母の言によれば、もう少し上の世代の人たちから、学生のころ石を運ばされた話をきいたことがあるという。青森県学徒勤労動員の記録を調べると、昭和14年に学徒勤労動員で地ならしをしたと確かに記録されている。
しかし「忠霊墓塔誌」として現地に掲げられた看板には「昭和53年」の記があることから、土台部分は戦中の作であり、塔の部分は戦後のものではないかというのがぼくの仮説である。「わづかにその旧態を偲び」という一節の、「旧態」がつまりこのグロテスクな部分にあたるのではないか。
小学生のころ、たった一度だけ中に入ったことがある。それは夏休みのことで、おそらく終戦記念日の前後に一般公開されていたのだとおもう。
記憶に間違いがなければ、なかには白磁の壺がぎっしりと並んでいて暗く、狭かった。親にたずねると、「あの壺ひとつひとつに魂が納められている」といわれたのをおぼえている。その記憶がほんとうなのか確かめたくて、錠のかかった鉄柵になんども手をかけてしまった。
塔に書かれた梵字は「バク」であった。これは釈迦如来をあらわす種子(しゅじ)であろう。長勝寺の本尊がお釈迦様だったのだとはじめてわかった。
なぜ忠霊塔がこのような建築様式をとったのか、ご存じの方がいたらぜひ教えていただきたい。





あの近辺に住んでいた子供達には必ず記憶に残る場所だよね
昨年夏に行ってみたときは、子供の時に行ったのとは何か違う感じがしたなー
何でだろ?
入口にたしかお店があったよね。
いまは跡形もありません。
高校野球がテレビで流れていて、ラーメンや津軽そばのニオイがしていた。冷たいアイスを食った記憶がある。