「落語のカセットはありますか」
図書館の受付でパートとおぼしき主婦にこうたずねると、その主婦は目録を置いた棚にいそぎ、ビデオテープのリストを出してきた。
「いやいや、カセットテープのほうです」
すると主婦は上司とおぼしき男のところへ伝えにいった。
「落語のカセットはございません。申し訳ございません」
スーツを着た白髪まじりのその男は、へらへらした中途半端な笑いをうかべ、バカ丁寧なことばでこう言った。
するとさきほどの主婦が、急ぎ何本かのカセットを出してきてこう言った。
「これは「三遊亭園朝作...新潮カセットトーク」とありますから...落語かどうか...わかりませんが」
みると「志ん生」である。「芝浜」である。これは所謂落語といわれるものである。朗読ではないであろう。ここまで判然としていながら「わかりません」という図書館員もすごいものだ。
もっと驚くべきは、白髪まじりの男のほうである。パートの主婦でもすぐ探せる蔵書を、「ありません」と言ってのける自らの無知無能ぶり、もしくは怠慢ぶりである。
端末で「落語 カセット」とでも入力し、エンターキーを押したら「0件がヒットしました」なんていうのがでたものだから、ちょっとした確信をもって、しかし気むずかしい利用者はこじらせるとメンドーだからというので、あの凍りつくような愛想笑いで「ありません」というのである。
それはキミが見つけられないだけだよ。「ありません」ではなくて、「わかりません」のだよ。いや、わからないことがキミにはわかってないのだよ。
思い出した。この男はこないだ「なぜカセットだけ目録を置いてないのですか」と訪ねたときに、「カセットは利用者がほとんどいないので作っておりません」と平然としていってのけた、あの男だ。
目録といったって、たかだか千本ぽっち(OPACで調べた)、しかも今後増える公算のまったくないカセットを「利用があまりいない」というので作らないとなれば、図書館はいったい何のためにあるのか。売れ筋の本をタダでレンタルするのが自分らの使命だとでも勘違いしているのであろうか。
巷から姿を消した古い資料こそ、図書館に居場所を求めているのではないのか。後世になって「ああ保存しておいてくれて助かった、やっぱり図書館だ」と市民が思わずうなずくような存在ではなかったのか。
キミもカセットを聴いたらどうだい。落語も太宰も赤毛のアンもあるよ。目の悪い人間にはたいそうありがたいものだよ。
CDは貸出禁だというし、しかもカセットも何があるのか自慢のOPACでも見つけられないというのであれば、視覚障害者は手ぶらで帰るしかないだろう。
それをなんだい、「利用者がおりませんので」なんて、市民のニーズに相対しているといった偽善をしやがって。時代錯誤者あつかいしやがって。
パートの主婦は、蔵書に関する知識はこれっぽっちもないけれども、誠意でもって、根性でもって探し出してくれた。真剣に対応してくれた。よっぽど図書館員としているじゃないか。
これが学都「弘前」の、市立図書館というんだから、あきれかえるじゃないか。





私も数年前に同じことをたぶんその男性職員に言われました。
で、同じことをパート職員らしき女性にきいたら、丁寧にさがしてくれました。
この差は何だろう。
資料をコピーしたい時も、犯罪者のような扱いをされるのです。
なんだかなあ。
知りうるかぎり最低の図書館だ