時は金なり、------という諺があるが、古今東西を通じてこれくらい卑俗な諺もあるまい。しかし、これを引っくり返してみると一つの貴重な真理がえられよう、いわく、「金は時なり」。
私は昨今のような暗い、霧でかすんだ朝、二階の寝室から降りてきて、輝かしい炉火が書斎でパチパチと音をたてて燃えているのを見るごとに、そのことを思う。
仮に私が貧乏であの楽しい炉の火を燃やす金もなかったとしたら、私のまる一日はどんなに変わったものとなるだろう。
心の平静を保つのに必要な物質的な慰めがないため、どれくらい多くの日を私は今まで無駄に費やしたことか。
金こそは時間なのだと思う。金があれば、私は時間を自分の好きなように買うこともできる。もし金がなければ、その時間もいかなる意味においても私のものとはならないだろう。いや、むしろ私はその憐れな奴隷とならざるをえないだろう。
金は時間だ。ありがたいことに、この種の買い物をするのには金はわずかでいいのである。あまり多くの金を持っている人は、金の本当の用い方に関するかぎり、金をあまり持っていない人と同じく、生活は苦しいものなのだ。
われわれが生涯を通じてやっていることも、要するに時間を買う、もしくは買おうとする努力にほかならないといえないだろうか。ただ、われわれの大多数は、片手で時間をつかみながら、もう一方の手でそれをなげ捨てているのである。
ギッシング作 平井正穂訳『ヘンリ・ライクロフトの私記』P273 岩波文庫
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