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死はいつかくる明日である

人生の場としてみすえる
一昨年末の退院後は、とにかく再入院を恐れてばかりで、毎日「病院コワイ」を繰り返していたのだが、前回の入院中に180度考えが変わった。

これからまた何回もお世話になることは十分ありがちだし、長生きすればするほどその可能性も高い。だったらもっと病院そのものを自分たちで生活しやすい環境に創りあげていく覚悟をしなくちゃならないと感じた。

悪くなったときに一時的にお世話になる場所というのではなく、自分の人生の、社会の、生活空間の一部としての病院という位置づけをしていく。そのなかで終末期医療や緩和ケアをとらえていかないと、自分の死にざまも含め、人間の死というものがますます惨めなものになってしまう。

死はいつかくる明日である
人間は大きな頭脳を持ってしまったがために、「明日」というものを思い煩う。だからいつかくる死を恐れるのである。動物や植物にこの思いがあるかどうかはわからない。確実にいえるのは、人間はたしかにそうだということである。

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