...三十代のなかばに、酒浸りの生活に疲れはて、津軽を舞台に小節を書こうと故郷の弘前に帰り、雪につつまれた町はずれの借家に住んで、鬱状態に陥ったときは苦しかった。過去に犯した錯誤と悪の数々が、おそろしく拡大されて脳裡の全体を覆い、不安と罪と意識に苛(さいな)まれて夜も眠れず、本当にこの世は苦の世界であるとしかおもえなかった。...
...人間の長所は、おおむね弱点と重なり合っているものだが、ぼくが自分のそれと考えるのは、楽天的で、かつ諦めやすいことだ。
だが、諦めるという言葉は、明らかに見究める、という意味の「明らむ」から出ており、それによって、思い切る、断念する、ということであるらしい。...
がんであることがはっきりした日の夜、ぼくは病室のベッドの上で、十年前の考えがいまも変わらず、よりいっそう強まって、ほぼ確信に近づいているのを知った。
日本語で、諦める、といえば、いっさいの努力を放棄した弱々しい姿をおもわせるが、漢字の「諦」の原義は、つまびらかにする、明らかにする、ということで、仏教語としてはブッダの悟り、すなわち「真理」を意味する。...
明きらめる、というのは、じつは、最後まで諦めないことだ。
人生と世界の意味を諒解しようとする努力を、最後のぎりぎりの瞬間までつづけることによって、一歩でも「諦」に近づこうとする。徹底的に明らめることによって、ついに諦めに辿り着く。...
長部日出雄『反時代的教養主義のすすめ 』 P321 新潮社





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