私がいま考えていることも、じつはニヒリズムについてなのです。しかしサルトルやカミュのニヒリズムではありません。そうではなく、経済のニヒリズム、それこそがニヒリズムの根幹であるということであります。
ニヒリズムはニーチェとともに時代の課題になりました。これはしかし、思想の課題である以上に経済の課題だったのです。このニヒリズムに立ち向かい、打ち勝とうとしたのがマルクスでした。資本主義こそニヒリズムにほかならない、労働が価値を生むにもかかわらず労働者が疎外されることは許せないと考えたのです。こうして共産主義という新しい宗教が始まりました。皮肉にもマルクスこそ観念論者、有神論者だったのです。
逆に、ニーチェはそれこそが誤りであると考えました。なぜなら神は死んだ、価値を保証する神は死んだからです。マルクスは価値の根源は労働であると考えましたが、ニーチェは、そんな神は死んだのだ、価値の根源は恣意的なものにすぎないと考えたのです。
卑近な例をあげれば、投入した労働量にかかわりなく、豊作になれば安くなってしまうということです。けれど、たとえばリンゴから石油が取れる技術が発明されればすぐに高くなるということです。価値の根源は恣意的な差異にすぎないというこの考え方が、メンガーたち、オーストリア学派によって担われたのです。
サブプライム・ローンに発する現在の経済危機は、経済がニヒリズムによって侵されていることを如実に示しています。価値とは、みんながそう思いこんでいるものにすぎないのです。ですから、私たちはいま次のように言わなければなりません。人類は二十一世紀の現在にいたって、はじめてニヒリズムの問題に本格的に直面することになったのだ、と。
「長部日出雄さんへ--東奥賞受賞 三浦雅士」東奥日報 2008.12.18





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