聖人には心なし、人の心を心とす。
聖人には言葉なし、人の言葉を言葉とす。
--心敬『ささめごと』
自分ひとりの心にあくまで執着する人は、心の狭い人である。我の強い人と言ってもよい。個性とか独創とかいったことを尊重することが、近代思潮の根底にある。だが、個性や独創の名のもとに、人は何を主張しようというのだろう。それはほんの取るに足らない、些細な自分の特徴を、ことさら誇張することで、自分を売り出そうとしているに過ぎない場合が多い。人は自分の容貌や性格を、どうして誇ることができるのか。百人の人間があれば、百人の個性があり、容貌があるのは、べつに自慢の種になることではない。
自分を大事にしたいなら、自分が自分でしかないことには、あいそを尽かした方がよい。すぐれた人は、万人の心、万物の心を心とする。「私」を超えることを、自分の心の工夫とする。万人の言葉、万物の言葉を、自分の言葉とする。無私の言葉が、すぐれた思想となり、文学となる。狭くるしい「私」の心や言葉は、振り棄ててしまったところに、ひろびろとした世界の本当の心や言葉が生まれてくる。
山本健吉『ことばの季節』P11 文藝春秋 1980





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