...我等の芸術を装幀するものは、通例我等自身ではないからです。我等の為し得るところは、精々のところ他人の製作した者の中から、あの額縁この表紙を選定し指定するに過ぎない。しかもその選定や指定すら、多くの困難なる事情の下に到底満足には行かないのである。されば芸術品の表装は、我等の作品の一部分であるにかかはらず、その実我等自身の趣味に属してゐないもの、むしろ多くの場合それは他人の趣味に属してゐる。しかしてこの一つの奇異なる事実----それが他人の趣味によつて選定されるといふこと----が、美術品や文学書の装幀に於ける最も興味ある哲学を語るものではないか。....
それ故西洋諸国の出版業者が、著者に対する尊敬と読者に対する愛敬とからして、やや高尚なる文学書類を多くパンフレツト(仏蘭西版の黄色本の類)で出版するのは、さもあるべき筈のことではないか。...つまりその本当の装幀は、一切読者自身の自由意志に任かすのである。それによつて読者は、正に彼自身の理解した「彼自身の著者」を、いつも「彼自身の趣味」によつて自由に完全に装幀することができるであらう。かくてこそ書物の著者は、正に読者の生活に「活き得た」のではないか。その各の人の装幀の価値に応じて、より浅く、またより深く、より自己に近く、また自己に遠く。
萩原朔太郎 『装幀の意義』「日本の名随筆 別巻87 装丁」作品社





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