出版のすがた
わが国における印刷物の品質はおそらく世界一ではないかと思う。組版の稠密さ、製版・印刷工程の工業的完成度といい、とてもシロウトには真似のできない領域である。
それに印刷関係の機器はどれも値段がすごい。だいたい数千万から億単位が普通で、ソフトウェアであっても数十万はザラである。わが国の出版というものは、極度に専門化・工業化がなされているがゆえに高品質なのであろう。
この結果として、フランスのように、著者は少部数の仮綴じ本を配布するだけで、装丁は読者まかせという私家版文化、いわゆるルリユールが普及することはなかったように思う。萩原朔太郎の時代でもそうなのだから、わが国における出版は、はじまりからすでに専業化していたのかもしれない。もちろん同人誌、ミニコミ、ジンというものはある。しかし、やったことのある人にはすぐわかるように、原稿整理、組版・面付け、印刷、納品・回収にいたるまで大変な作業量と出費をしいられ、本来は執筆やデザインに費やすべきエネルギーが吸い取られてしまう。よほどの情熱がないかぎりまず続かない。やはりそれを支えるべきテクノロジーというものの必要性を痛感する。
DTPの出現
その後、Macの普及とともに、PageMaker、QuarkXPress、Adobe SystemsのPostscriptフォント・プリンタが制作現場に入ってきた。PageMakerは現在、Adobeによって丁重に葬られ、Indesignがそれに取って代わり今日にいたるわけだが、20代のころのメモを読み返してみると「QuarkXPressでレイアウトするのがぼくの夢」みたいなことを書き記していて懐かしい。その後、ショートカットの手癖がついてしまうくらいQuarkで残業させられることになり、その夢は哀しく実現した。
DTP時代になっていちばん困ったのは、写研の書体が使えなくなったことだ。これには同意見の人が多いと思う。写研の石井明朝、本欄明朝、新聞特太ゴシックなどにくらべると、モリサワのデジタルフォントはバランスが悪く、一字一字サイズを変えるなどして苦労した。とある制作会社の社長さんがいうには、写研の経営陣に問題があるらしく、いまだにデジタル・フォントの開発には無関心とのことであった。ヤフオクで写研の文字盤が二束三文で出品されているのをみると、払い下げの手動写植機が無性に欲しくなってしまう。
NET DTP
写研書体をアウトライン化してくれるサービス。
写研のありかたに象徴されるように、わが国では新聞・雑誌などのマスメディアがいまだに出版の中心を占め、それぞれの工程は、前述のように昔ながらの高額なシステムが稼働している。とくに、何十年と刊行されてきた出版物や、版を重ねてきた書籍などは、おいそれとDTPに移行できないのは無理からぬことであろう。たった一字の誤植によって、責任問題や訴訟にも発展するのが出版業の恐ろしいところである。DTPデザイナーごときに組版なんかやってほしくないというのがプレス側のホンネではないだろうか。
出版業界の旧態依然とした体質は、DTPに土俵を移しても上記の理由によりあまり変わっていないように思える。OS9環境で仕事をしているデザイナーがいまだに全体の約4割を占めているのは、仮に電算写植からDTPに完全移行しても、安定したプリプレス環境を構築するのが並大抵のことではないという証左であろう。
DTPからDiYへ
結局のところ、われわれと出版との距離はいまだ近くて遠い。自分の詩集を友人達に配りたいと考えても、それだけのためにAdobe CSを十数万だして買ったりはしないだろう。結局はWordしかないというのが現実ではないだろうか。PageMakerを世に送り出しやアルダス社の初志とは裏腹に、DTPもシロウトがおいそれと手出しできるものではなくなってしまった。
IndesignとWordのあいだを埋める、もっと手軽な組版のかたちというものをいま模索している。とくに、ワープロほどの操作でルビや傍点付きのテキストを、縦組で割付・面付けし、中綴じにして印刷できるような。かつDiYパンクスなコピー&デストロイ活動を助ける安価さ。よりアマチュアな、ディレッタントな、ルリユールな出版のありかた。私家版づくり。数十部単位の極小出版。もちろん電子本だってよい。要は、出版というものを、もっと自分たちの身に引き寄せようという魂胆である。いつまでも高額な商用ソフトにたよってばかりでは芸がない。
前置きがずいぶんと長くなってしまったので、ここまでにしておく。これから数回にわたり、フリーウェアのみを用いたお手軽な本づくりに挑戦してみよう。





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