患者生活者がいちばん耳にする言葉--「がんばれ」「がんばんなきゃ」(津軽:がんばんねばまいね)。
医師、看護師、見舞客の別なく万人が口にする決まり文句である。
こっちも調子をあわせて「はい、がんばります」と返すものの、心の奥底ではケッ、冗談じゃねえ、とついつっかかってしまう。
気持ちはたしかにありがたい。何か最後に落とし文句を置いて去りたい気持ちもわかるが、なんでも「がんばれ」といえばうまくまとまるというその安易さがいただけない。テレビでも日常会話でも、我々は日ごろ「がんばれ」を使いすぎではないか。
こっちはもう耳タコで飽き飽きだし、たまには気の利いた一言がほしい。「患者にがんばれは禁句」とは母の便だが、「アンタにいわれなくても精一杯がんばってるっつーの」とたまには悪態をつきたくなる。
「がんばる」という言葉は、もともと仏教の「我張る」から来ているそうで、本来は悪い意味で使われていた。文字通り、自分の考えにこだわり、どこまでも突き通そうとすることをいうからである。「我慢」「こだわる」も同様に本来は我に固執する姿をいさめる言葉だという。それがいつのまにかまるで美徳のように流通するようになってしまった。
むかし三鷹に住んでいたころ、運動会の練習らしき声が近所の幼稚園からよく聞こえてきた。子どもたちの「がんばれ!がんばれ!」攻撃にはいつも恐怖した。年端もいかぬうちにこうして「がんばれ=いいこと」みたいな刷り込みがなされるのだろう。これを見守る親は目を細めつつ、周りに協調している我が子の姿に安堵するであろう。
「がんば」という語感の良さもこの語をポピュラーにした理由かとも思う。「サンバ」とか「ルンバ」とか語感の黄金律というか、パンチのある響きは耳に心地よい。いっそのこと「じゃ、サンバ!」とか言ってくれたほうがこっちもうれしいし、単調な入院生活に薫風を運んでくれる。
だから我々も、「がんばれ」以外の一言を見つける一手間をかけようではないか。
佐野洋子じゃないけど、これからも、「がんばりません」。





私の妻は鬱病と闘っており、がんばれ、は禁句です。
「がんばれ」と言っておけばなんとなく体裁が保てるというか……24時間テレビ的偽善というか……相手の健康状態と関係なく、ぼくは、がんばれ、が嫌いになりました。
「頑張って」という言葉、実は私は個人的に嫌いじゃありません。自分自身、これ以上何をどう、頑張らなきゃいけないのか自分でもわからないほど頑張ってます。自転車に乗り始めた頃の自分と同じで、止まってしまったら倒れてしまうような気がして、頑張っていないと不安なのかも知れません。
自転車を止めて倒れても、また起き上がって今度はゆっくり歩いたっていいはずなんですけどね。
今は「頑張って」は私の周りでも禁句です。
でももうダメかもと思った時に「ファイトオ!」と叫ぶと自分の中で勇気が沸いてくるのも事実です。
ですので、今はひとり心の中で禁句を叫んで応援している次第です。
だめかなぁ・・・
覚えていらっしゃいますでしょうか、
某DTPスクールでデザインを教えて頂いた者です。
今までRead onlyでしたが、この言葉私も凄く気になっていたのでコメントをば。
頑張れ、ってなにか無責任な気がしますよね。
私は、応援してるよ!って言い換えて使っています。私は味方だよ!とかも。
自分の存在を肯定してもらうだけで人間、力が湧いて出るときもあるかなって思って。
些細なことでも人の人生に関わる、というのは難しいものでこれくらいが限界かなぁと思ってます。小学生のがんばれ!は応援のかけ声としては私としては良いのかな、と思います。語感も良いし。
narajinさん(先生)の命がこれからも明るく輝き続けられますように。またRead onlyします。
リレーで走ってて(背中越し)で言われる「がんばれ」は好き!
勤務評定、小学校の通信簿にある「がんばりましょう」は嫌い。以上
「がんばらないをがんばる」by 石川ひとみ。
ぼくの駄文よりこの一言です。