記事のカテゴリ:

 

浦島その4

pooh.png自分が寝たきりだとわかったときは愕然とした。手足を失ったような気がした。死んだほうがマシだも思った。でも先生方をはじめ周囲の献身的な看護によって救われた命だし、脳卒中と違い神経は通っているから大丈夫と言われ、リハビリに賭けることにした。

その後上半身はかなり復活してきたのだが、下半身は考えていたより戻りが遅く、いまだに自力で座ったりできない。自分の誕生日までにはお風呂に入る、と宣言していたものの、このままでは看護師さん数人の介助がないと無理そうだ。

小腸のGVHDと確認されてからゴハンもストップとなり、とにかく毎日お腹がすく。ちかごろ薬の内服がはじまった。ずっと絶食していたせいか、水を飲むとすぐ下痢する始末で、そのたびにオムツ交換をしなくちゃいけないのが今の悩み。

とにかく、あの空白の3週間のあいだにも時は流れていたわけで、自分のどん底ぶりに最初は絶望したけど、しだいに使命というか、生き残ったことに運命を感じるようになった。自分が眠っているあいだにも、何人かが死んでいった。そのなかには、自分より歳若く、家庭持ちのヒトも含まれている。なぜ彼ではなく独り者の自分が? 何のために生かされたのか?

ひとつ確実にいえることは、母の愛に救われたということ。心電図とか、呼吸器とか所狭しと詰めこまれた狭い準無菌室のなか、折りたたみの椅子ほどのスペースで手を握ったり話しかけたりしてくれたらしい。意識がもどってからも病院の近くにレオパレスを借り、慣れないアパート一人暮らしをしながら今も付き添いを続けてくれる年老いた母にひとまず「ありがとう」といいたい。

本来なら、自分が親の世話をしなくちゃいけない歳なのに、妻もお金もなく、しかもこんな難病にかかっちゃって、いつも迷惑かけてばかりでゴメン。

弘前に帰ったら、いっぱい料理つくるからね。

「かかったら最後」

新型インフルについてある男性がテレビで語った言葉である。 彼は腎臓の持病があり週三日ほど人工透析のため通...

ダマヤンティーの思い出

イトコがたずねてきた。歩けるようになったのをみて喜んでいた。「ダマヤンティー」の名を出したので思い出がよ...

「骨髄移植体験者のお話」最後に

つながってくれて毎度ありがとう 最後になりますけども、医師や看護師のみなさんはもちろんなんですが、バンク...

「骨髄移植体験者のお話」その4

弱いときこそ強い それまでの自分っていうのは、まだですね、自分で何でもがんばらなくちゃいけないとか、どこ...

トントントンと、青森にいく

新青森駅はちゃくちゃくとできあがっていた。 昨日は受診日でもないのに病院にいく。ひとつは患者会に顔をだす...
 

レコメン魂

  • Kamikaze 1989
  • Pinnacles
  • 80年代TDサウンドの核 PPG
  • Exit
  • Hyperborea
  • FAMILIAR COMPUTING WORLD
  • EGGレコード抜き書き
  • Ignacio
  • Bruits et Temps Analogues