スピード社会に警鐘
楽しく夢中になって遊ぶ子どもたちの意識は、コマ切れで管理される時間とは無縁だ。だが、その姿を見守る親は、食事や昼寝の時刻が気になってしょうがない。
あわただしい現実へと、親は子供たちを引き戻す。そこに欠けているものは、待つことや目的を定めない自由な行動、そして休みだ。
本書は、日欧のライフスタイルを、〈とき〉の意識という観点から歴史的に分析している。興味をひくのは、速度を語るときの語彙(ごい)の来歴を明らかにしている点だ。
例えば、「能率」という言葉は「テーラー主義」で知られる科学的な管理法を導入する際に作られた新しい日本語だ。
大正時代には、鉄道の発達に伴って、朝夕の混雑時間帯を指す「ラッシュアワー」がすでに登場していた。国産の「タイムレコーダー」は、1932年に登場した。
これらの指摘から分かるのは、明治以来の西欧近代化が、まさに現代日本の労働環境や時間意識の形成と地続きだということだ。
現代世界における時間意識の形成には、ジャスト・イン・タイム方式という産業システムが決定的にかかわっているという。これは、「ムリ・ムダ・ムラ」を省くという哲学を基盤とする。
ところで、こうした理念の上に築かれた社会は、個性豊かで思考力も行動力も備えた人間が育つのに、果たして適しているのだろうか。答えはノーである。それは、本書が言及するシモーヌ・ヴェイユや鎌田慧らが、労働現場のルポを通してそれを明らかにしている。
つまり、工場で課される作業にはスピードが求められ、そのスピードはさらに加速される。加速されたスピードは、人間から思考や夢見る力を奪い取る。
こうした点からすれば、コマ切れの「速さ」に追われ、スピードこそが金銭価値を生むという現状の労働や教育環境は、再考すべきだろう。
今後求められるのは、「休息」や「間」や「ひと息」を受容する感性だ。本書の副題は「『時は金なり』の社会史」だが、問いの射程は未来へ向かって深い。
(佐藤壮広 一橋大学講師)法政大学出版局 4200円
(東奥日報2007年2月18日朝刊)
いつから時計が気になるようになったのか。明治6年1月1日をもって、日本は太陽暦、定時法の社会へと転換した。鉄道、工場、学校における時間規律の導入はいかにして行なわれ、そして、人々の生活をどのように変えていったのか。現在に至るまでの、時間意識の変遷をたどる。
関連番組:BS世界のドキュメンタリー「首飾りを作ったのは誰?」-中国 出稼ぎ少女の労働事情-
2007年 2月23日(金)
午前10:10~午前11:00(50分)






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