電話をくれたY医師は、太平サブローをハンサムにしたような、気さくで話しやすい方だった。わしの主治医になったのは別のY医師だったが、実は高校で同期だったということがわかり、お互い驚いた。地元に帰ってくると、こんなことがある。
担当看護師のチエちゃんはお人形さんみたいに可愛いかった。入院っていいものだ、とすっかり上機嫌になった。もうちょっと生きてみようか、という気になった。
大学病院は家からも近いし、看護師さんもキレイどころ揃いで居心地もよかったけれど、わしの病気の重篤さだけを説明するばかりで、「一緒に治していこう」とはいってくれなかった。
Y医師が、「自分の恩師」とよぶ県立病院のK医師に紹介状を書いてくれた。K医師は、わしの骨髄の標本を顕微鏡で見せてくれたり、資料をいっぱいコピーしてくれたり、懇切丁寧に説明してくれた。化学療法の原理を理解できたのも、このときがはじめてだった。
それに、K医師はけっこう淡々とした口調でわしの病状を説明してくれたのもよかった。同じような患者をたくさん診てきた経験からくるものと確信した。
ドクターショッピングを繰り返す自分に、K医師は「医療は人です」ということばをさりげなく語った。技術や設備だけでなく、人間で病院を選んでほしいという、静かな自負のようなものが感じられた。
同行した姉もこの先生には感服したようで、帰りの車のなか「来てよかったね」と上機嫌であった。
あとから知ったのだが、この日K医師は外来担当ではなく、わざわざ自分のために所労してくれたとのことだった。もうひとつ、実は骨髄移植の順番待ちをしている人が外来にたくさんつめかけているというのだ。もしY医師の紹介がなかったならば、入院すらできなかっただろう。
きっかけは近所の内科医だった。そこからまるで導かれるように、スムースに県病にたどりついた。こういう流れには素直にしたがうのがいい。「神の御業は人をとおして現れる」というではないか。
転院後、わしの主治医となったのは、K医師ではなくO医師だった。まだ若い先生だが、K医師が「いままで何十人と若い人をみてきたが、彼が一番」と太鼓判を押した。今後の治療方針についてO医師とカンファレンスしたおり、押さえきれぬ一抹の不安から、
「私みたいなボロボロの状態でも治るでしょうか」
とつい弱音を吐いてしまった。するとO医師は、急に真顔になり、
「私は治すつもりでいます」
と言った。
病室にもどってドアを閉めると涙が止まらなかった。やっと命を預けることができる医師に出会えたと思った。いままでこらえてきた死の恐怖が一気にほぐれ、涙に変わっていくのを感じた。





コメントする