生活が苦しかったとき、私はストア哲学者に心のより所を求めたことがしばしばあった。そしてそれは必ずしも無駄ではなかったと思う。マルクス・アウレリウスはしばしば私の枕頭の書の一つであった。沈痛な思いのため眠れないようなとき、夜っぴて私は彼の書を読んだ。どうしてもほかの書物を読む気になれなかったからだった。
そうしたからといって、重荷がおりるわけでもなかったし、世俗的な生活の苦労のむなしさを明らかにする彼の言葉が役にたつわけでもなかった。しかし、彼の思想にはほのぼのとした調和があり、私の心はそのためいくらか宥(なだ)められるのであった。そんなことはとうてい及びもつかないことは分かっていたが、この高邁(こうまい)なる手本に負けないだけの力が欲しいという願いは、単にそれだけでも悲惨な境遇におこりがちな卑劣な衝動を抑える保証にはなった。
今でも彼の書を読んでいるが、もはや昔のようないらいらした気持ちからではない。彼の哲学よりもむしろ彼の人間そのものを思い、その像を心の奥深く刻みつけておきたいからにすぎない。
ギッシング作 平井正穂訳『ヘンリ・ライクロフトの日記』p175 岩波文庫





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