人々は自分を賃貸しする。かれらの能力はみなかれら自身のためではなく、かれらをこき使っている他人のためである。借り手のほうが自分の家にいるようにふるまい、かれら自身はかえって小さくなっている。こういう一般の気風はわたしの気にくわない。なによりもわれわれの霊魂の自由をたいせつにしなければならない。正当な場合でなければそれを抵当にしてはならない。その正当な場合というものは、健全な判断に訴えてみればきわめてまれなものだ。見なさい。あの・人のいいなりほうだいになりつけた・人たちを。
かれらは大事につけても小事につけても、自分の関係のあることにつけてもそうでないことにつけても、いつも同じざまである。かれらは見さかいなく、忙しいところ窮屈なところに頭をつっこむ。そしてごたごた騒ぎの渦のなかにいないときは、まるで死んだようである。かれらはただせわしがりたいため仕事をさがしている。それは生きたいからではなく、むしろじっとしていられないからである。すこしも転落する石と選ぶところはない。落ちつくところまで来なければ、とまることができないのである。いそがしいということが、ある種の人々にとっては才能と威厳のしるしなのだ。かれらの精神は動揺のなかにその安息を得ようとする。ちょうど揺りかごのなかの赤ん坊のように。だれもお金は他人に預けないくせに、時間と生命とを他人に預ける。
モンテーニュ著 関根秀雄・編訳『新選モンテーニュ随想録 』p217 白水社





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