前回の続き...「それは余暇と違うではないか」と言われると確かにそうかもしれない。余暇は英語ではレジャー(Leisure)だし、語源はラテン語の「licere(=許される)」である。これは暇してもいいよ、と許可する何者かが前提にあるわけで、昔でいえばそれがご主人様だったり、神々だったりであろう。現代社会では企業や上司かもしれぬ。明らかに労苦や義務、使命からの一時的解放といった概念が背後に見え隠れしている。英国における余暇獲得の歴史も、やはり雇用条件の改善との関連は否定しがたい。
ただややこしいことに、レジャーとは無関係な余暇もあったりする。古代ギリシア・ローマでは余暇に「スコレー、スコラ」という言葉をあてたが、こちらの語源は「scio/scire = to know(知る) 」であり、ご存じのように学校(school)の語源である。大いに遊び、大いに学ぶこともこれまた余暇であり、また余暇なくしては学問も成り立たないであろう。彼らのばあい、労働は奴隷とか下級市民にまかせておけばよかったから、労働がなくても余暇という概念はいちおう成り立っていたわけである。その証拠に、彼らには「仕事」にあたる単語がなく、「アスコリア(スコラの否定語)」をあてがっていたにすぎなかった。
こうなると、「君の求める余暇というのは、つまるところ単なるスコレーのことではないか」と追求されるかもしれぬ。たしかにそうなのだが、なんか順当すぎて面白くない。最初の定義に矛盾するようではあるが、逆に労働を賛美する立場から見た余暇についても検討しないと片手落ちになるであろう.... (続く)





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